日朝連帯の先駆者 

上甲米太郎たちの

書簡 その2


八幡浜出身の日朝連帯の先駆者・朝鮮慶尚南道昆明(コンミョン)普通学校校長・訓導であり、かつ共産主義啓蒙家であった上甲米太郎さんは1930(昭和5)125日、30歳のとき、治安維持法違反容疑で特高に逮捕されますが、書簡は特高が裁判の証拠品として押収したもので、翌年ソウルで開かれた第1審裁判に提出されました。

これらの手紙を通覧すると、上甲米太郎の人間像が新しい姿で浮かび上がってくるかもしれません。

なお朝鮮で公立普通学校というのは朝鮮の子供たちが通う学校です。「伊予村」があった韓国・莞島の場合も、海岸端に普通学校があり、山の手の莞島神社の下に日本人の進む尋常小学校がありました。

この書簡に登場する人を紹介しておきます。

趙判出(チョ・パンチュル)さん

京城在住。上甲米太郎の教え子で、当時19歳、京城師範学校学生として京城師範学校寄宿舎で、仲間たちととともに学友たちに社会主義思想を広める活動を進めていました。

山下徳治さん

東京在住。鹿児島市出身、東京の自由学院教師。ドイツ遊学、さらにソヴェットロシアの教育事情を視察し、1929(昭和4)年帰国後「プロレタリア科学研究所」、全日本教員組合準備会に入り委員となって活躍。1930(昭和5)819日仲間たちと「新興教育研究所」を設立、月刊誌「新興教育」を発刊。39歳、共産主義教育運動の指導者でした。

西村節三さん

東京在住。東京青山師範学校を病気のため中退、山下徳治さんの思想に共鳴して、新興教育研究所に入り組織部を担当しました。

菊池輝郎さん

京城在住。京城師範学校在学中、プロレタリア映画に関心を抱き、進んで共産主義に共鳴するようになりました。教員組合の組織を目指しました。父は公立普通学校校長。

既報のとおり、関係者は東京在住者も含めて、朝鮮・京城市の西大門刑務所に拘留され裁判にかけられました。翌年第一審判決が下されます。

注は尾上がつけました。

6 上甲米太郎→西村節三

   1930(昭和5)年 11月であろうか

     ◇    ◇    ◇

二十五日付御手紙拝見いたしました。

同封の地図を見てください。小生の住地は泗川郡で西の方にかたよってゐます。併し、各地に知人がゐるのでそれ等に対してボツボツやってゐます。校長は三分の二以上、普通教員も四分の一位は顔見知りがあると思ひます。そのうち全道(注:慶尚南道全道か)亘(ワタ)って読者を持ちたいとおもってゐます。

 今小生の近郡、三郡だけで左記の通りです泗川郡は田舎としては学校数の多い処ですが、小学校五(学級十)、普通学校九校(学級四十六)教員合計五十八名なのです。そのうち現在五名と言ふ数は相当割合から云へば多いのです。

まだ一二名は見込みがあります。他郡へも二部今送ってあります。どの程度にやつて行くべきか見当がつきません。「新興教育」の読者をつくるそれだけのことを今主としてゐます

 晋州へ四里、河東へ七里、昆陽、五東二里、泗川へ六里、と言ふ位置で何も形の上の仕事は出来ません。

 晋州が中心地です。晋州邑内にいまわかつてゐるのが四名ゐます。書店へ取り寄せさせてゐますから小生の判らぬ読者も或るわけです。機会ある毎に逢って語るのですが、各地の同志がわかれば次々の連絡をとつてやりませう。支局として出来るだけのことはやります。

鉄道に沿ふてゐる地点でなければ相当手はだせません。

京城師範の演習科(二部)に今七名います。小生の教児(注:「オシエゴ」)が中心になつてやつてゐます。冬休みに出かけて行って一同に逢うつもりでゐます。

普通科生に一名後継者を見出したとの知らせです。これだけはどうにかまちがいなしにに育てて見たいと思つてゐます。

小包は釜山の税関で調べることがあります。四種書留にでもした方が如何ですか。

 当地の郵便所の方は先便の通り、辰橋区内として扱ってもらへば確実に来ます(辰橋に小生の実家あり)

他の支局の活動など何れ「新興教育」に載るでせう。けれど支局だけに何等かの方法で簡単なものを配布しては如何ですか。

小生の希望としては 合法的には不可能なことであるので現在の「新興教育」の読者の中からホンモノを撰び出して大きなある仕事の一部分でもやつて行きたい(注1と思ふのです。

そして朝鮮人の思想団体と裏面に於て手をとりたいと思つてゐます。夢かも知れません、だがながいこと今まで考へて来た事です。今更、誰が何と言ふも捨てないで進む積りです。今の処「新興教育」を配布した位のことでは馘にはなりますまい。

皆(注2)がなまけてゐるので平凡な吾々もまだまだこの程度なら馘にはなりますまい。

私の思想的傾向を多少知ってくれてゐるので まさか自分がこんな計画を立ててゐることもしりますまい。数が多くなるほど注意はしてゐます。誰にも全部の読者相互には分からないように知らせてゐません。

晋州の内 三名は鮮人です 知人の紹介で一晩語りました これで鮮人方面にも知己が出来て来やうと思ひます 「数の力」です とにかくやりませう。

山下氏は愛知県豊橋成章中学の出身ではありませんか、この前手紙を出したのですがご多忙か返事がないのです 「昼食の饗応をしなくて馘になった話」を近日中に送ります。埋草にでもなれば幸です。

上甲米太郎

西村様


1:「現在の『新興教育』の読者の中からホンモノを撰び出して大きなある仕事の一部分でもやつて行きたいと思ふのです。」

この部分は意味深長。教員組合の組織を担当させたい、というくとのようだ。

2:「皆」というのは官憲をさすのか。


7 菊池輝郎→上甲米太郎

1930(昭和5)11月末、京城の趙判出さんが治安維持法違反容疑で逮捕されます。逮捕直後、学友の菊池輝郎さんが上甲米太郎さんに送った急便です。趙判出さんは警察で自分たちの活動を白状します。1930(昭和5)124日付、上甲逮捕の前日です。

     ◇    ◇    ◇

我々の周囲は非常に悪化してゐる。とうとう卞(注:ベン。趙判出の偽名)はひつこぬかれて多分本町署(注:現在のソウル、ミョんドン)であらう。留置場につながれてゐる筈だ。何でヒツパラれたか我々には一つもわけがわからない。

此の頃演習科(注:二部)の素行が非常に悪いので――外部から投書と脱柵(意味不明)が発見された。

学校当局は非常に神経過敏となり、何かあるとにらんだ。

近々中物品検査があると報ぜられた

それに重大な事をいつか話した、破壊主義者の第一分子柔道初段のTが左翼的言辞を弄した手紙を実兄に出したので実兄から舎監長上がりの共闘に一報あつた。Tよばれて、シボられ青くなつてゐるがこれで思想方面に当局が注目する事となつた。

生徒の中にはスパイが作られた。勿論勉強の上手なものだ。何をえさにされたのかしれないが――

それらが我々の周囲にたかつて我々のアラを密報するんだ。

我々はなるべくそれ等の前で合はぬ事にしてゐる。だが心と心とはしつかりとしめてかかる際だ。プリントも大矢、麻氏の言によつてやめた。我々は小児病を征服せねばならぬ

一日夜零時過ぎても卞は皈らなかつた(注1)。

夕方五時頃、いやにおとなしい人につれられていったそうだ。向ふも勿論 卞(ベン)がどれかわからない態度だったそうだ。何となれば決して室に入らうとしないそいつに応対して出掛けた卞に「卞さんはおいでですか」と聞いたからだ。

私はちょうど活動に行って、Mがそれをみてゐたのだが 何もあやしくは思はなかった。まさかポリとは思はなかった。

然し、情勢の悪化してゐる此の頃、夜零時すぎても皈らない。

そして朝になった。皈らない。Jと私は心当たりをさがした。わからない、で、まあ、あいつはノンキ坊主だから、なるべくみつからぬやうにしてやれと、返事をしてやつた。

 三時間目、教頭の時間、盛(ん)におかしなことを云ふ。自分の予想してゐたことが適中した。

「いい事には名の出ぬ奴が悪いことには一人前だ」とか云った。そのうち現舎監長から呼び出しかかかった。それきり

四時間目、同知事が来た、疾風迅雷的に全生徒午后より学校林の松毛虫退治と云ふ

来たなと思った―私は前からその用意をしてゐたから安心だ 卞の物はトランクにつめて比較的検査のゆるやかな下級生のほうにまわした。

二時間あまり寒い目に会った。面白い事には農業の主任教諭も松毛虫退治を知らなかった。

その夜、JとMは亦捜しに行った。

卞の室の室長で学校ではスパイにしてゐるんだが それは私に好意を以てよく知らせてくれる―だが注意は充分してゐる。

教員から呼ばれて、教員が卞のゐないことを知つてゐる事を聞いた。

松毛虫退治のとき卞の名を呼ばなかった事を思ひ出した 学校は知ってゐるんだ。

三日、亦室長は我々一統の名を舎監が知つてゐることを知らせた。

取調の一語によつて総てわかつた。

物品検査は刑事の指揮で行はれた。”新興教育”を捜したそうだ。それはなかつたが

――あなたの方がどうかなつてゐるのではないか?

卞の原因はあなたではないか?

卞の引かれたわけが解らぬ

只一つ、府内の某高普校(注2)が盟休(注:同盟休校)してゐるが―卞が昨年晋州盟休の際晋州に行き合わせて調べられてゐる、某高普校の指令が何処から出てゐるか解らぬ。それで引かれたのではないか。

斯かる際卞宛に通信せぬよう

大矢の所へ寄越してください

大民の御伝へだが民からの通信は皆焼いてください ―乱筆お許し下さい― 後便にて

        ヱ セ

四日

二伸 我々は睨まれてゐるので証拠物品たるものは総て大民のところへ預けた 卞のも

卞が我々のことを白状してゐるのは残念だが仕方がないと思ふ

我々は覚悟してゐる、そして益々元気がある

              安心あれ


注1:趙判出が逮捕されたのは121日ということか。

2:高等普通学校:朝鮮総督府諸学校官制(大正11年勅令第151)


8 西村節三→上甲米太郎

1930(昭和5)年12月6日付、西村節三さんが上甲米太郎さんに発送しようと準備していた手紙。西村さんが逮捕されたときに特高が押収したもの。

     ◇    ◇    ◇

お手紙拝見いたしました 貴下を朝鮮に得ましたことをかなり大きい力に思ひます 

私の統制すべき範囲は新興教育の直読者と支局の圏内です。組織であります。

今貴下から詳細の地理状勢も伺ひ且つ貴下の階級的熱意の下に抱かれる計画とその拡大の為めの当面の方策とをかなり具体的に知り 私の統制下より一歩躍進した意味に於て勿論字術的にその必要を認める為に直接教員組合のほうへ任せたいと思ふ。

組合の方は日本内地に於ても非合法のものであります。

今組合の方では無新戦旗(注:「無産者新聞」「戦旗」)に対してそのことの記事一切を差し止めてゐる為公表せられてゐないけれども 全国的にかなり強固なものになつてゐるのであります、局部的には治警違反となつて検挙にひつかかつてゐるところもあるが 大部分の支部は健全に育つています、他の労働組合と性質、機構に於て分散的に違つてゐる為 公然弾圧と闘ふことが不可能であるため非常に難しい様であります、

私は合法的場面にゐての組織部であるから組合のほうの詳細はよくわかってゐない

然し新興教育の支局は組合の準支部であり 一段階であり 原則的にそこに行くことは絶対的に必要であります

尚 貴下方面の客観的情勢は組合との連絡且つ その統制にあるべきであると思ふゆえ 私は貴下の意見によつて組合のほうへ連絡せしめたいと思ひます

組合の方には具体的に朝鮮人の対策がある事と思ひます

かなり全道から活発に反響があります

統営(注:慶尚南道の町―トンヨン―)には支局になるべきところもあります も少し状勢を見て貴下との連絡をもつて貰ひませう

京城師範寄宿舎の演習科との連絡は最近就いてゐます、冬休みには貴下にはそちらのほうとお会ひする機会があればよろしく御助勢ください

全国師範中 東京文理科と豊師、東京女高師が最も活発に動いてゐます

その方のニュース等も送ります

私自身も

中央で仕事をしてゐるだけで かなり多く地方の現業者には 組織についても教へられねばならないと思ふ。殊に朝鮮との接近に就ては実に困難であります。

ゆえに貴下の様な熱心な人を得た事を研究所として又日本教員組合結成の為に喜びます

私は朝鮮へ行って運動をしたい様な衝動も感じるくらいであります、

何卒階級的使命の前に飽く迄 吾々の片腕として朝鮮全道の中心たらんことを希望します

貴返信を待つてゐます

西村 拝

上甲米太郎様

十二月号十部は去る三日発送しました

原稿題目も面白そうです 是非早くお願いします、


9 上甲米太郎→中西勝三郎

中西勝太郎は密陽(ミリャン)郡武安の公立普通学校の訓導。上甲が雑誌「新興教育」を送りつけて理解と支持を求めていたようだ。

     ◇      ◇      ◇

この前の手紙に何の反響も無いとは悲しいね 「新興教育」十一月号を一部送る 引き続いてともかく三、四ヶ月送つてみやうか、―読んでほしい。然して之を読んで貰へばよいので、今の朝鮮に之以上のことを求めやうとも思はない、下手をして

「新興教育」をともに送ったとの理由で馘になるが落ちかも知れぬが 他人に迷惑は掛けたくないと思つてゐる 無論兄を見込んで送るのであり、それだけに相当覚悟もしてゐる

晋州のあの山ポケ東町(注:意味不明)で戦旗(注1)が三十部も売れるといふことは何を意味してゐるのだらうか、いつまでも眠ってゐる時ではない。

新しい時代には新しい両親が必要だ云ふのが僕の地(ママ)論だ。相当鋭い神経を持ってゐる田舎の兄の心底に何もといふわけがない。

今の若さをお互いはみすみす何のためにすごしてゐるかを反省して見るが好い

賛成なら三十銭送ってくれ、不賛成ならいらない、

唯黙つて二、三ヶ月読んで貰へばそれでよい。   以上

中西兄


注1:「戦旗」 

1928(昭和3)2月「赤旗」が創刊され、普通選挙法による総選挙のなかで日本共産党が初めて国民の前に姿を現した。翌3月共産党の前進を恐れた政府は改悪治安維持法による大弾圧(315弾圧)を加え、1600人の党員、党支持者が逮捕された。しかし、4月末には「赤旗」が再刊されて世間を驚かせた。315弾圧の直後にいくつかのプロレタリア芸術団体が合同して「全日本無産者芸術連盟」(ナップ)も結成され、雑誌「戦旗」を創刊した。「戦旗」は小林多喜二の「蟹工船」、徳永直の「太陽のない町」などの名作を世におくった。


10 上甲米太郎→山田鉄男

山田鉄男は晋州第一公立普通子学校訓導。米太郎が信頼していた教師のようだ。

       ◇    ◇    ◇

(日本に於ける教育労働者組合についての一考察)を読め

新興教育を送る

「十一月の改造の付録 第二貧乏論(注1)位いは読んでゐなければ、常識として必要なことだ」

兎も角今のところ十名以上の読者を得た

それぞれ相当僕を信じてゐて呉れる男とであるから兄が僕を裏切ったりしないならほかの男たちも大丈夫だと思ふ。

僕は今の所それらに何も秘めてはゐない。

只この本を読んで呉れればそれでよい

だから万一のことがあつても僕の配布したと云ふ廉(カド)によつて馘になる以上は進まぬはずだから安心して黙つてよんでゐてほしい。

もう新潟では二名の首謀者が六十日喰らつてゐるし十二名馘になつてゐる、それは非合法的であつたからだ。

僕は今その合法の研究中だ、それがわかるまで決して法に触れる組織なんてはつくれない。

その点安心して居て欲しい

晋州で戦旗が三十部も売れると云ふ

「新興教育」も今日よりでてゐる様です

京城にもよき同志が居て善き便りをくれてゐます、

呉れ呉れも校長に察しられぬこと

賛成したら黙つて居て宜しい、反対なら本を送り返して呉れ

三十銭切手でよい 送れたら頼む

第一号を送った筈だが着いたかしら

今月号は不足したから二人に一部しか送れぬ、何れ後から(注:東京から)送ってくれたら送ってあげてもよい

今読者現在七名ほど(京城は別)得た、

今まであちこち走り回った甲斐がやつと今現れて来た、

「良心」無くしないようにお互い注意せねば 知らず知らず欺瞞してゐるんだ

僕の馘も長くない気がする しかしそれだけ心は落着いている

万一のことがあつたら後を頼まねばならぬ一人であると信じてゐる。

併し之よりうんと「欺瞞」して「希望社」の運動でもやるかなあ――

京城の同志からは熱のある羨ましい便りがある、あちらにはよき指導者もゐるから

まあ今のところせいぜい欺瞞して大邱へ近く出るんだね

上甲  

晋州

 山田鉄男




注1:第二貧乏論は河上肇の「第二貧乏物語」のこと。上甲が何を常識として必要と考えていたかを知る手がかりとして、改造十一月号付録の目次を掲げておきましょう。

  ― ― ― ― ― ― ―

(附録の一)

第二貧乏物語目次

   序
 一、まえおき
 二、弁証法的唯物論(総説)
 三、弁証法的唯物論(細論の1
 四、弁証法的唯物論(細論の2
 五、弁証法的唯物論(細論の3
 六、弁証法的唯物論の批判の批判
 七、唯物史観(その1・社会の一般的運動法則)
 八、唯物史観(その2・社会形態の推移の主要段階)
 九、唯物史観(その3・社会的存在と社会的意識)
 十、唯物史観(その4・プロレタリアートの認識の武器 ― 必然の王国から自由の王国への跳躍)
十一、唯物史観から資本主義的社会の解剖へ 
十二、驚くべき貧富の懸隔
十三、資本主義的社会の細胞としての商品の分析
十四、価値の実体としての社会的労働
十五、剰余価値
十六、剰余価値の出所
十七、商品としての労働力
十八、労働時間延長、賃銀値下げ、産業合理化―労働能率の増進、等々
十九、資本主義社会の行き詰り− その必然的××

二十 共産主義社会への展望
 第一、共産主義社会に関する具体的叙述の可能性の進展
 第二、共産主義社会に関するマルクスの一般的な叙述
 第三、共産主義社会の第一段階と完成されたる段階
 第四、ソヴエート聯邦の出発点
 第五、労働時間の短縮
 第六、労働の一般化―失業者の減少
 第七、賃銀の増加
 第八、富の生産増加
 第九、む す び

(附録の二)
 世界資本主義の危機の増大とソヴエート聯邦における
 社会主義的建設の加速度的勃興
  一、国際資本主義の危機の増大とソヴエート聯邦の外交的地位
  二、社会主義的建設の加速度的な勃興とソヴエート聯邦の国内状勢
                    −目次終−


【 補 足 の 補 足 】

「新興教育」1930(昭和5)年11月号掲載の論文日本に於ける教育労働者組合に就いての一考察」について

趙判出さんの上甲米太郎さん宛書簡の中に

新興教育の十一月号は手に入れました。・・・『日本に於ける教育労働者組合に就いての一考察』の渡辺氏の論文読みました。最後の組織のところは大いに我々の仕事に参考になると思ひます。」

とありました。その後も上甲はこの論文を何度か友人たちにすすめています。
この「渡辺氏の論文」はその後の調査で『新興教育』193011月号に発表された渡辺良雄さんの個人論文『日本における教育労働者組合運動に就いての一考察』(以下「一考察」)であることことが判明しました。
(「日本の教育2 民主教育の運動と遺産」(新日本出版社
1975
)所載の論文「教育労働者の闘争―『教労・新教』の教育運動」―139ページ)

 趙判出さんが「参考になる」といった「最後の部分」というのは、「教育労働者組合の行動綱領」のことのようです。「民主主義的権利意識・人権意識によって貫かれた、教育労働者の労働権・生活権の擁護、児童生徒の人格的敵尊厳の擁護のための92項目の闘争目標」(同論文)です。

このたびアジア歴史資料センターの資料のなかにその「教育労働者組合の行動綱領」が見付かりましたので書き写しておきます。

 教育労働者組合の行動綱領

A 経済敵領域について

一、教員の馘首反対
二、本人の意思に依らざる転任反対
三、減俸及初任給引下、昇給停止、強制寄付による実質上の減俸反対並にその増額
四、賞与、出張旅費、住宅料、当直料、其他諸手当の支給及其廃止減額反対並に其の増額
五、最低俸給制の確立
六、昇給期、昇給額の確定公示及其履行
七、資格別、性別による差別待遇撤廃、同一労働に同一待遇
八、地方的差別待遇撤廃
九、強制出費反対
一〇、教育会、教員会其他官設諸団体への強制加入反対
一一、教育労働以外の雑役反対
一二、休暇休日の強制出校反対
一三、始業今の強制出校及放課後強制居残反対
一四、執務時間の確定公示其履行
一五、時間外労働に対する手当て支給
一六、賞与削減昇給延期なき女教員の生理休暇五日間及産前産後十二週間の休暇獲得
一七、暑中休暇の四十日制確立
一八、農繁休暇実施の自由
一九、居住地の自由、流行の自由及服装の自由
二○、恋愛結婚、娯楽の自由
二一、懲罰制度撤廃
二二、視学、校長、父兄間の贈賄行為反対
二三、公費による教員住宅の建設その教員による営(管)理
二四、教員の保健のための学校設備の改善
二五、教員及家族の医療機関の設置
二六、解職、傷病、老廃せる教員並に死亡せる教員の遺族の生活の国庫保証
二七、教育費の資本家地主全額負担

B、兵役について

二八、短期現役に乙種合格収容反対
二九、短期除隊後の一切の兵役義務解除
三○、入営による代用教員、准教員の馘首反対
三一、入営中俸給の全額支給

C、教育の領域について

三二、資本家、地主の利益「擁」護のための一切の反動教育反対
三三、国「定教科」書反対、教員による教科目、教科書選択の自由
三四、軍事教育に対する闘争
三五、宗教教育に対する闘争
三六、校長会議の廃止
三七、職員会、教員会、教育会の自主化
三八、強制的指導授業、研究授業反対
三九、強制的展覧会、学芸会、運動会反対
四○、講習会、講演会、研究会、競技会への強制出席参加反対
四一、一学級四十名制の確立
四二、裁縫、家事、図画、手工、唱歌、体操、農業などの専科教員の設置並に増員
四三、受け持ち学級の天下(「取」一字の書き入れがあるが意味不明)り的任命反対、教員の合議による受持ち学級の決定
四四、教員による受持ち学級経営の絶対自由
四五、上級学校入学準備教育反対
四六、反動的職業指導反対
四七、教員の一般投票による校長選出
四八、視学制度の撤廃
※参考:京城日報 1928.4.8(昭和3)掲載記事
鮮内教育普及改善の第一次計画成る
視学増員新設教育は助長行政中最も顕著なるものなるや言を俟たず 従て之が指導者の充実は最も重要の事たり 殊に半島の如く教育の創業時代に在りては之に対する施設を更張するは頗る喫緊の要務たるを以て予算上之に要する費用の支出を講じ 出来得べくむは左の通り視学制度を更張すること
(一)本府視学官は二道に一人の割合を以て増員すること
(二)各道に専任視学官一人を増員し尚道視学一人を増員すること
(三)各道郡島等に各一人の視学を新設すること

四九、学務委員制度の撤廃
※参考:1890(明治23)年第二次小学校令によって教育事務に関する市町村長の補助機関として学務委員が置かれた。学務委員には小学校の男性教員を加えることとされたが、通常は小学校長や地域の名望家が選ばれた。
五○、教員による学校の管理、経営権の獲得
五一、師範学校の反動的制度及反動教育に対する闘争
五二、師範学校専攻科の廃止
五三、義務年限制の廃止
五四、学閥並に地方閥に対する闘争
五五、御用教育団体並に施設反対
五六、現存公民学校の廃止、プロレタリア貧農青年を中心とする公民学校の創設
※参考:公民学校は学校教育を受けられなかった人々に対して基礎教育履修の機会を与えるための学校のようだ。
五七、資本家地主のファシスト的青年訓練所、官製男女青年団少年団、在郷軍人会、消防隊、資本化地主的スポーツ団体の廃止
五八、自主的スポーツ団の確立
五九、資本家地主の教化総動員に対する徹底的闘争並に教員のそれへの参加反対
六○、植民地における帝国主義的特殊教育反対

D 児童の領域について

六一 授業料の廃止
六二、児童に対する強制寄付反対
六三、国庫による無産児童の雨具、履物等の通学用具、学用品及昼食支給
六四、国庫による遠足修学旅行費の全額支給
六五、虚弱児童、発育不全児童の保護並に特別学級、特別学校の設置
六六、国庫による無産児童の完全なる医療及保健施設
六七、学習体育及娯楽の施設完備
六八、義務教育の延長
六九、児童に対する体罰及一切の懲罰反対
七○児童のストライキ権獲得 出欠席の自由
七一、級長制の撤廃、自主的児童委員会の確立
七二、児童委員会による一切の要求の自由
七三、個人主義的競争心扇動の為の児童の成績表示席次決定反対
七四、プロレタリア並に貧農父兄会の設置 及それによる学校行政並に経営監視
七五、学齢前無産児童の保護
七六、労農少年団の組織

E 政治的領域について

七七、教育労働者組合の組織並に活動の自由
七八、教員の政党加入並に一切の政治的行動の自由
七九、教員の罷業権獲得
八〇、十八歳以上の男女教員の選挙権の獲得
八一、言論集会結社出版の自由
八二、小学校関係の法律の改廃
八三、教員の利益獲得の闘争を妨害する一切の行為並に圧迫的諸法令の撤廃
八四、教員の負担となる租税撤廃
八五、労働組合、農民組合との共同戦線
八六、国内教育労働者組合の戦線統一
八七、国際教育労働者組合の戦線統一
八八、帝国主義「戦争」の危機に対する闘争
八九、ソヴェート連邦の「擁護」
九○、対支那干渉、支那「革命」の擁「護」
九一、植民地の「独立」運動の擁「護」
九二、解放運動犠牲者及其の家族の救援

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