2007年月日
糸満市真壁
タージリガマー
老馬新聞

「万華の塔」の第22連隊慰霊碑をお参りして、すぐそばにある真壁集落に入った。地元の人に何人か、タージリガマーの場所を聞いてみたが、みなさんタージリガマーという名称自体を知らないという。やっと一人の老婦人が「この集落の東のほうにあるはず」と教えてくれた。

東の方へ移動してみたがやっぱりわからない。車窓から「ちなー」という喫茶店の看板が見えたので一休みしようということで「ちなー」を探した。ここへ立ち寄らなかったらきっとタージリガマーへはたどりつけなかったと思う。旅にはこんな偶然がおおい。

真壁の集落の一隅に古民家を生かしたしゃれた喫茶店があった。ここで「氷ぜんざい」をいただいて、お勘定のときに店の人にタージリガマーを聞いたが知らないという。

店を出たところで、この店のオーナーであるという女性に会い、ここを訪れた目的を話しタージリガマーをたずねてみたがやはり知らないとの事だった。しかし、この女性はしばらくして「たしかこのあたりのガマーの地図がありましたよ」と店に入りその地図も持ってきてくれた。

「糸満市史」からコピーしたものと言われたように記憶するが、その地図には200近くのガマーが記録されていた。そして、一覧表の141番目だったかにタージリガマーが記録されていた。女性は、タージリガマーが真壁集落の東側のサトウキビ畑の中にあるらしいことを教えてくれた。さきほどの老婦人の「東の方」という記憶は正しかったわけだ。

「ちなー」の女性から教わった位置をさっそくカーナビに入力し現地へ向かった。

教えられた場所にたどり着いたのだが、一面サトウキビ畑である。このどこかにあるんだがそれがどこなのか見当もつかない。



あきらめかけていた頃サトウキビ畑にいる人を見つけた。帰り支度をしてるみたいだ。走っていってタージリガマーをたずねる。すると、「あ、タージリガマーね、あそこさ。あそこに電柱があるでしょ、あそこ」。やれやれ、ついに見つけたぞ。


車で農道にはいりしばらくいくとガマの入り口らしいところがみつかった。きちんと柵が設けてある。これがタージリガマーであることは地元の人が教えてくれない限りわかるはずがない。幸運だった。↓


以前はここで慰霊行事をしていたらしいが、この広場のことであろう。右に階段が見える。万華の塔にあった慰霊碑はもとこの階段の上に設置されていたのだろう。


階段の左にガマがありそうな暗がりがある。


ここが南部に後退した第22連隊の本部のあったタージリガマーだ。ガマに降りる階段は当時のままなのではなかろうか。


以下、ガマの内部である。


かなり深そうなガマである。このガマのなかで伊予弁がとびかっていたのであろう。米軍はこのガマに馬乗りになり火炎放射器で攻め立てたのであろうか。


ガマの中は鬼気迫る雰囲気があってこれ以上は入る勇気がなかった。1945(昭和20)年6月17日第22連隊はこのガマの北東約2キロにある真栄里で玉砕したそうだ(生存者あり、とのこと)。次回の沖縄旅行ではぜひ真栄里も訪れてみたい。