『駐韓日本公使館記録』(原文はカタカナ、濁点なし 関連地図 )
(5)大屯山付近戦闘詳報
                   明治二十八年二月十八日
                        特務曹長 武内真太郎



二月十七日支隊(我兵三分隊と韓兵三十人より成る))は高山県に於て中隊長より大屯山に篭拠せる賊魁を討滅すべき命を受け 午前七時三十分出発 午後四時三十分大屯山に着し 良場面基洞に至れば 前に賊徒を討滅する為め全州より派遣せられし韓兵(士官一名兵卒三十名)は砲を山上に引き上げ 賊窟に向て頻りに砲撃し居たり 然れども砲の位置は賊窟を△(巨で「へだつ」か?)る約一千五百米突(メートル)にして且約二三百米突下方に在て砲撃する事なれば 砲弾は悉く遥かに賊窟の前方下に落着し 一弾も命中せず 唯空しく砲弾を渓谷に委棄し 反て賊の嘲笑を招くのみ



支隊は他に見る所あり当日を以て賊を攻撃せず 故に隊を舎営せしめ 韓兵士官 尹勢栄 金光洙と共に山上に登り地形を偵察するに 賊窟は大屯山の中寒徳山々頂より稍(やや)下方にあり 当山は全州第一の高山大嶽(南方より登一里十八丁余 北方より登二里余)にして 巍峩たる山脈長く東西に連綿とし 山腹より上方は 大嶽巨石なるを以て 容易に攀登すべからず 賊はその大嶽の間に三軒の家屋を造り 常に之に居住し 警戒甚厳なり 故に我が至るを発見し一斉射撃数回を為たり 又土人の言に依れば 賊は昨年旧十一月中旬頃より五六名山上の嶽窟に棲み居たるに 公州の兵之を聞き十五六日前来りて三日間攻撃せしも陥落する事能はずして帰公し 其後又民兵来りて攻撃せしに 偶々賊の一弾当り負傷せしを以て民兵大に驚怖し 忽ち潰走し 又二三日前より全州の兵来りて攻撃し居れり 此如くなるを以て 各地の賊之を聞き 我が生命を安んずる所なりとし 諸方より来集し 今は五十名余りに至りたりと 又官軍の来るを知れば 大石巨木を放下し 或は発砲して 近く可からず 且つ賊窟は数丈の巌上に在り 梯に拠り僅に通すと 之に依て 明十八日午前三時を期し夜襲する事に決し午後六時下山し舎営に着く



支隊は賊を夜襲する為め午前三時集合したるも 風雨甚だしく且つ霧深くして咫尺(しせき)を弁ぜず 亦山は険阻にして巌石壁立 一歩も進む能はず 徒に我兵の損せんことを慮かり 為めに策を変じ払暁を待て之を挟撃せんと欲し 午前五時一等軍曹小松直幹をして二分隊を率い背後に四里余の迂回をなさしめ 而して同六時三十分 自ら我兵一分隊と壮衛営兵三十名を率い 賊の正面より攻撃せん為め長さ四米突余の梯を造り 僅に巌石を攀(よ)ぢ或は木に取り付き 漸く賊窟の下方約百米突に到る頃に 賊は我兵の来るを知りて 堆石を落とし巨木を投下す 其響実に雷の如し 然れども我兵幸にして一の死傷者なし 依て到底正面下より攻撃すべからざるを以て 岩石を匍匐し賊の左側より漸く山頂に達す 而して其間岩上の積雪は悉く凍結して鏡面の如く 一歩所を失せば忽ち千尋の渓谷に墜落す 其危険言ふべからず 時に同くじ九時十三分ならん 然ども濃霧の為め未だ賊を見ず 只だ下方遥かに人語の響きをきくのみ



同九時三十分配置全く了(お)はる 其配置左の如し
韓兵二十名を教長の指揮に属し 賊の前方斜め左(約二百米突)の高地に置き 残余の韓兵及我兵一分隊を左側の高地に配置す 而して先きに賊の背後に迂回せしめたる小松軍曹の率いる支隊は 同十時到着したるを以て之を後方の高地に配置し 濃霧の霽る丶を待つ 同十一時十分俄然大風起り濃霧全く霽れ始めて賊窟の所在を発見するを得たり 暫らくして賊は要地を守らんため五六名巌窟より下り来りたるを以て 前面に在る韓兵之を狙撃したるに 弾丸賊の下肢を貫く 賊は不意を討たれ狼狽して逃走し 巌上より垂れたる縄に拠りて攀じ登り頻りに射撃して我に抗す 依て三方より猛烈なる射撃をなす 然ども賊窟の三方大巌に蔽われ 僅に屋根のみを顕はし 前面は大石を以て堆積し 之に銃眼を穿ち其上に巨木を置き我兵の近づくを待(まち)て為す所あらんとする者の如く 其要害甚だ堅固にして 且つ我射撃の効力なきを察し 三方より猛烈なる援護射撃を為さしめ 午後一時四十分自ら我兵一分隊に韓兵士官尹勢栄 金光洙を率い 賊後の峻坂を下り 漸く賊窟の後方下迄突進せしに 豈計らざりき 巌石数丈壁立して 攀登するの道なく 先に携え来りし梯は山険なるを以て運搬する事能はず中途にして之を棄てたり 依て人梯を為し一人毎に登らしめ十五分間を費消
し漸く全分隊をを攀登せしめたるに 賊は只険を恃み背後に毫も顧慮せず頻りに前面の韓兵に猛烈なる射撃を頭上になせり 而して我分隊は全く登りたるを以て一斉射撃二回を行なひ其不意に乗じ叱呼突貫せしに 賊徒狼狽 或は千尋の渓谷に飛び込み或は岩窟の間に隠匿せり 依て生者は悉く捕縛せんとせしに 突貫後梯に拠て登り来りし韓兵など悉く之を殺し 僅に一童子を残せしのみ 故に此童子に就き賊情を聞くに 賊は二十五六名篭り居り 多くは皆接主以上の者なるも其姓名を知らず 賊窟に二十八九歳許の懐胎せし一婦人あり 弾丸に当たりて死す 又接主金石醇一歳許の女児を抱き千尋の谷に飛込み共に巌石に触れ粉殱となり即死せり 其山上言ふ可からず



午後二時全く賊窟を陥落し 其家屋を焚き 陛下の万歳を三唱して下山せり 時に午後三時なりき



押収書類に依り調ぶる処に依れば此賊の重なる者は
都禁察 崔鶴淵
都執綱 張志弘
同    崔高錦
都執行 李光宇
大 正  李是脱
接 司  趙漢鳳
接 主  金在醇
同     陳秀煥
教 授  姜泰鍾
奉 道  全判童
なり
其他書類になき物の姓名は詳かならず

彼我死傷
我軍 なし
賊徒 死者二十五人 傷者なし

分取品
書 類     若干
火縄銃    五十丁
火 薬     若干

費消弾薬
一千百七十六発


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08年08月12日 火曜日
駐韓日本公使館記録
老馬新聞