【掲載に当って】

名古屋高等裁判所が2008417日言いわたした自衛隊のイラク派兵差止訴訟の判決全文を「しんぶん赤旗」の7回にわたる連載をもとに掲載します。この判決は52日確定しました。判決文は全体の構成がつかみにくく従って読みにくい傾向がありますので、ここでは全体を「表」処理をして全体の構成が理解しやすいようしました。あらたにパラグラフを設定したりところもあります。そこにはパラグラフの頭に「◆」を挿入したところがあります。。本文中の注記は読解を妨げやすいので(注)印をつけて直近下位にまとめておきました。また年号の後ろに「/08」のように西暦を挿入しました。

自衛隊のイラク派遣差し止め請求訴訟名古屋高裁判決全文

 

当事者の表示

別紙当事者目録記載のとおり

 

主文

1 本件控訴をいずれも棄却する。

2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

 

事実及び理由

 

1 当事者の求めた裁判――――――――――――

 

1 控訴人ら

(1)原判決を取り消す。

(2)別紙当事者目録別紙控訴人目録2 記載の控訴人ら(以下「控訴人池住ら」という)の請求

ア 被控訴人は、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(以下「イラク特措法」という)により、自衛隊をイラク及びその周辺地域並びに周辺海域に派遣してはならない。

イ 被控訴人がイラク特措法により、自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣したことは、違憲であることを確認する。

(3)控訴人ら全員(別紙当事者目録別紙控訴人目録1に記載)の請求

被控訴人は、控訴人らそれぞれに対し、各1万円を支払え。

(4)訴訟費用は、第12審とも被控訴人の負担とする。

2 被控訴人

主文と同旨

 

2 事案の概要―――――――――――――

 

1 本件は、被控訴人がイラク特措法に基づきイラク及びその周辺地域に自衛隊を派遣したこと(注1)は違憲であるとする控訴人らが、

 

本件派遣によって平和的生存権ないしその一内容としての「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」等(注2)を侵害されたとして、国家賠償法1 1 項に基づき、各自それぞれ1万円の損害賠償を請求(注3)するとともに、

控訴人池住らにおいて、本件派遣をしてはならないこと(注4)

及び本件派遣が憲法9条に反し違憲であることの確認(注5)

 

を求めた事案である

 

(注1)(以下「本件派遣」という。また、以下、イラク共和国及びその周辺地域のことを単に「イラク」ということがある。)

(注2)(以下、一括して「平和的生存権等」ということがある。)

(注3)(以下「本件損害賠償請求」という。 )

(注4)(以下「本件差止請求」という。 )

(注5)(以下「本件違憲確認請求」と云う。)

 

原判決は、

 

控訴人池住らの本件差止請求及び本件違憲確認請求にかかる訴えは不適法であるとして訴えを却下し、控訴人らの本件損害賠償請求については請求を棄却した

 

ところ、控訴人らが控訴した。

 

2 前提事実(公知の事実、当裁判所に顕著な事実等)

 

1)平成15/2003726日、第156 回国会において、4年間の時限立法であるイラク特措法(平成15/2003 年法律第137号)が可決成立し、同年81日、公布、施行された。

2)内閣は、平成15/2003129日、同法に基求づく人道復興支援活動(注1)に関する基本計画(注2)を閣議決定した。

(注1)(以下「対応措置」という。)

(注2)(以下単に「基本計画」ということがある。)

(3)防衛庁長官(注1)は、基本計画に従って、対応措置として実施される業務としての自衛隊による役務の提供について実施要項を定め、これについて内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊に準備命令を発するとともに、航空自衛隊先遣隊に派遣命令を発して、これを同月26日からイラク、クウェート国(注2)へ派遣し、その後、陸上自衛隊に派遣命令を発して、これを平成16/2004 116日からイラク南部ムサンナ県サマワに派遣するなど、自衛隊をイラクに派遣した。

(4)陸上自衛隊は、平成18/2006 717 日、サマワから完全撤退した。しかし、航空自衛隊は、その後、クウェートからイラクの首都バグダッド等へ物資・人員の空輸活動を継続している(注3)

(5)平成19/2007 6 20 日、第166 回国会において、イラクへの自衛隊派遣を2 年間延長することを内容とする改正イラク特措法(注4)が可決成立し,現在も航空自衛隊の空輸活動が行われている。

(注1)(平成18/200612月法律118号による改正以前。以下同様。)

(注2)(以下「クウェート」という)

(注3)(平成18/20068月に基本計画の一部変更を閣議決定)。

(注4)(平成19/2007年法律第101号)

 

【前提事実の略年表化】

(2001911日 9・11事件)

2003(年5月、国連の安全保障理事会決議1483 号(加盟国にイラクでの人道、復旧・復興支援並びに安定及び安全の回復への貢献を要請するもの)が採択された

2003726日 イラク特措法成立

200381日 同法交付、施行

2003826日 航空自衛隊先遣隊をイラク、クウェートへ派遣

2004116日〜 陸上自衛隊をサマワに派遣

2006717日 陸上自衛隊はサマワから撤退、航空自衛隊は活動を継続

2007620日 改正イラク特措法成立 航空自衛隊は活動を継続中

 

3 当事者の主張

 

別紙のとおり

 

3 当裁判所の判断――――――――――――

 

1 当裁判所も、控訴人池住らの本件違憲確認請求及び本件差止請求にかかる訴えはいずれも不適法であるから却下すべきであり、控訴人らの本件損害賠償請求はいずれも棄却すべきであると判断するが、その理由は以下のとおりである。

 

2 本件派遣の違憲性について

(1)認定事実

公知の事実、当裁判所に顕著な事実に加え、証拠(各箇所に掲記のもの)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

ア イラク攻撃及びイラク占領等の概要

(ア)平成15/2003320日、イラクのサダム・フセイン政権(注1)が大量破壊兵器を保有しており、その無条件査察に応じないことなどを理由として、国際連合(注2)の決議のないまま、アメリカ合衆国(注3)軍、英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)軍を中心とする有志連合軍がイラクへの攻撃を開始した(注4)。これにより、間もなくフセイン政権が崩壊し、同年52日、アメリカのプッシュ大統領がイラクにおける主要な戦闘の終結を宣言した。

(注1)(以下「フセイン政権」という。 )(注2)(以下「国連」という。)(注3)(以下「アメリカ」という。)(注4)(以下、これを「イラク攻撃」という。)

(イ)フセイン政権の崩壊後、アメリカ国防総省・復興人道支援室(ORHA)(注1)がイラクを統治し、平成15/20035 月、国連の安全保障理事会(注2)決議1483 号(加盟国にイラクでの人道、復旧・復興支援並びに安定及び安全の回復への貢献を要請するもの)が採択されたことを受け、アメリカを中心とする連合国暫定当局(CPA)(注3)がORHAからイラクの統治を引き継いだ。なお、(我国の)イラク特措法は、この国連安保理決議1483号を踏まえ、イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行うものとして(同法1条)、同年7月に制定されたものである。

(注1)( Office of Reconstruction and Humanitarian Assistance 以下「ORHA」と略称する。)(注2)(以下「安保理」という。)(注3)(Coalition Provisional Authority以下「CPA」と略称する。)(注4)(加盟国にイラクでの人道、復旧・復興支援並びに安定及び安全の回復への貢献を要請するもの)

(ウ)平成16/200461日、イラク暫定政府が発足し、同月9日、国連安保理において決議1546号が全会一致で採択され(注1、同月28 日には、CPAから主権移譲が行われた。これに伴い、多国籍軍が発足し、この多国籍軍に日本の自衛隊も参加することになった。

(注1(イラク暫定政府設立の是認、占領の終了及びイラクの完全な主権の回復の歓迎、国連の役割の明確化、多国籍軍の任務の明確化等を内容とする。)

(エ)その後、平成17/2005130日、イラク暫定国民議会の議員を選出する選挙が実施され、同年428日、移行政府が発足した。同年828日、イラク国民議会でイラク新憲法草案が採択され、同年1015日に同憲法草案の国民投票が実施され、同月25日までの開票の結果、これが承認された。同年1215日、新憲法下でイラク国民議会の選挙が実施され、平成18/2006520日には、イラクにイスラム・シーア派(1)のマリキ首相を首班とする正式政府が発足して、これによりイラクは主権を回復した。しかし、その後も、イラク政府の要請により、多国籍軍がイラクに駐留している。

(注1(以下単に「シーア派」という。 )

(オ)もっとも、当初のイラク攻撃の大義名分とされたフセイン政権の大量破壊兵器は、現在に至るまで発見されておらず、むしろこれが存在しなかったものと国際的に理解されており、平成17/2005 12 月には、プッシュ大統領自身も、大量破壊兵器疑惑に関する情報が誤っていたことを認めるに至っている。

(カ)イラク攻撃開始当初の有志連合軍及びCPAからの主権委譲後の多国籍軍に参加したのは、最大41か国であり、いわゆる大国のうち、フランス共和国、ロシア連邦、中華人民共和国、ドイツ連邦共和国等は加わっておらず、イラク攻撃への国際的な批判が高まる中、参加国も次々と撤収し、現在(当審おける口頭弁論終結時)の参加国は、アメリカ、英国及び我が国を含めて21か国となっている。

イ イラク各地における多国籍軍の軍事行動

(ア)ファルージャ

イラク中部のファルージャでは、平成16/20043月、アメリカ軍雇用の民間人4人が武装勢力に惨殺されたことから、同年45日、武装勢力掃討の名の下に、アメリカ軍による攻撃が開始され、同年6月以降は、間断なく空爆が行われるようになった。

同年118日からは、ファルージャにおいて、アメリカ軍兵士4000人以上が投入され、クラスター爆弾並びに国際的に使用が禁止されているナパーム弾、マスタードガス及び神経ガス等の化学兵器を使用して、大規模な掃討作戦が実施された。残虐兵器といわれる白リン弾が使用されたともいわれる。

これにより、ファルージャ市民の多くは、市外へ避難することを余儀なくされ、生活の基盤となるインフラ設備・住宅は破壊され、多くの民間人が死傷し、イラク暫定政府の発表によれば、死亡者数は少なく見積もって2080人であった。

(イ)首都バグダッド  

a  平成16/20046月のイラク暫定政府発足後、首都バグダッドにおいて、政府高官を狙った自爆攻撃等が相次いで多数の者が死傷し、武装勢力による多国籍軍に対する攻撃も相次ぎ、同月27日及び同年7月末、いずれもバグダッド空港離陸直後にC130輸送機が銃撃を受け、アメリカ人とオーストラリア人の乗組員2人が死亡した。また、平成17/2005130日には、バグダッド近郊を低空で飛行していた英国軍のC130輸送機が、武装勢力(アンサール・イスラム=イスラムの支援者が実行の声明を発したが、実際はイスラム・スンニ派(以下単に「スンニ派」という。)の武装組織により撃墜され、乗員全員(少なくとも10人)が死亡する事件が生じた。さらに、バグダッドでは、多国籍軍と武装勢力との衝突が頻繁に生じていた。このような事態を受けて、多国籍軍は、バグダッドにおいて、武装勢力に対する大規模な掃討作戦を展開するに至った。

b 平成17/2005529日、アメリカ軍約1万人、イラク軍約4万人を動員して大規模な掃討作戦が行われた。しかし、武装勢力を掃討することはできず、却って治安が悪化した。そこで、多国籍軍は、バグダツド及びその周辺における掃討作戦を強化させ、平成18/20068月からはアメリカ兵約1 5000人をバグダッドに集中させて、掃討作戦を行うなどした。

c 多国籍軍は、バグダッド市内において、宗派対立等による武装勢力同士の衝突が激しくなったことを受けて、平成18/2006 年末ころからこれらに対する掃討作戦を実施して、その回数を増やし、アメリカ軍もこのころイラク駐留軍を増派した。アメリカ軍は、平成19/2007 1 22日、イラク治安部隊と共同で行った過去45日間の掃討作戦の結果を発表したが、この発表によれシーア派民兵に対して52回、スンニ派民兵に対して42回の掃討作戦を実施し、シーア派の強行派といわれるムクタダ・サドル師派(以下「サドル師派」という。)の民兵600 人を拘束したものであった。同月24日には、バグダッド中心部のハイファ通りでスンニ派に対して猛攻撃を加え、同日だけで30人を殺害した。

d 同年214日、アメリカ軍は、イラク治安部隊とともに、合計9万入を投入して、イラク戦争開始以来最大規模の作戦といわれ「法の執行作戦」と名付けられた掃討作戦をバグダッドにおいて実施し、多数の一般市民が犠牲となった。

e アメリカ軍は、同年88日、バグダッドのシーア派居住区であるサドル・シティを空爆し、イランからの爆弾輸送に関与していた武装勢力30人を殺害したと発表したが、イラク警察は、女性や子どもを含む11人が死亡したと発表している。同年96日には、バグダッドのマンスール地区を空爆したが、その中でもサドル師派の民兵が活動し、シーア派住民が多いワシャシュ地域を攻撃し、少なくとも14人が死が死亡した。同年1021日には、サドル・シティを攻撃し、市民13人が死亡した。

f このように、アメリカ軍を中心とする多国籍軍は、時にイラク軍等と連携しつつ掃討作戦を大ない、特に平成19/2007年に入ってからは、バグダッド及びその周辺において、たびたび激しい空爆を行い、同年中にイラクで実施した空爆は、合計1447回に上り、これは前年の平成18/2006年の約6倍の回数となるものであった。

g アメリカ軍は、平成2018日から、イラク軍と共に大規模な軍事作戦「ファントム・フェニックス」を開始し、同月10日からは、その一環として、バグダッド南郊において大規模な集中爆撃を行い、40箇所に爆弾を投下した。

(ウ)その他の地域

多国籍軍は、平成16/2004年中に、イラク国内のマハムディヤ、マッサーラ、ラマディ、モスル等において、1000人規模の兵士を投入した掃蕩作戦を実施した。

特に、モスルでは、同年1114日から、大規模な掃蕩作戦を実施し、平成十七年18日、アメリカ軍のF16戦闘機が500 トンの爆弾を投下し、民家を爆撃して住民5人が死亡した。

多国籍軍は、平成17/2005年には、カイム、ハディーサ、タルアファル等において、大規模な掃討作戦を実施し、同年910日のタルアファルでの攻撃にはアメリカ軍及びイラク治安部隊併せて約8500人が動員された。

同年1016日、スンニ派の地域といわれるラマディにおいて空爆を行い、武装勢力70人を殺害したと発表したが、実際は少なくとも39人が一般市民であったとも報じられている。

平成19/2007 8月には、アメリカ軍がイラク中部のサマラにおいて、武装勢力からの攻撃を受けた後に民家をミサイルで爆撃し、女性2 人、子ども5 人が死亡した。

ウ 武装勢力について

(ア) ところで、多国籍軍による上記のような掃討作戦の対象となったことがあると認められる武装勢力には、思想や宗派を問わず様々なものがあるが、有力な武装勢力として、少なくとも次のものが認められ、互いに協力又は対立の関係に立ちつつ、時として海外の諸勢力から援助を受けつつ、その活動を行っているものと認められる。

a フセイン政権の残党

平成15/2003 5 月のブッシュ大統領による主要な戦闘終結宣言の後にも、イラク国内には、旧フセイン政権の軍人等からなる反政府武装勢力が残存しており、その実体は不明な点が多いが、海外に拠点を置きつつ、イラク国内においてゲリラ戦を行っているとみられる。平成16/2004 4月及び同年11月になされたファルージャにおける掃討作戦では、実はこの反政府武装勢力が対象であったともいわれており、現在も、スンニ派の一部と連携し、バグダッド市内の一部を実質支配していると見られている。

b シーア派のサドル師派

フセイン政権崩壊後、シーア派強硬派のムクタダ・サドル師が率いる民兵組織「マフディー軍」が、各地で多国籍軍と武力衝突しており、特に,イラク中部のナジャフにおいて、平成16/20048月、戦車やへリコプターを用いた大規模な武力衝突が生じたとされている。

サドル師派においては、社会福祉事業、交通警備等の公共事業の場で自発的に労働する150万人のイラク人を動員できるとの報告もあり、日本においても、同年4月の時点で、内閣法制局が、当時の福田内閣官房長官に対し、マフディー軍を「国に準じるもの」に該当する旨報告していた。

なお、シーア派には、フセイン政権時代から反フセイン・ゲリラ部隊を有しており、現在はマリキ政権を支える最大組織「イラク・イスラム革命最高評議会」があり、サドル師派と間で宗派内対立の状況にある。

c スンニ派武装組織

シーア派に対抗するスンニ派にも反米、反占領を掲げる武装組織があり、特にその中のアンサール・アル・スンナ軍は、イラク西部のラマディやヒートを中心とするスンニ派住民の多いアンバル州一帯を拠点とし、アメリカ軍やイラク軍に兵器で敵対するほか、シーア派やクルド人を襲撃するなどの過激な武力闘争を展開している。平成17/20055月に日本人を拘束したのも、アンサール・アル・スンナ軍であるといわれている。

(イ)武装勢力の兵員数について

イラクにおいて反政府武装勢力とされる者らの人数は、

平成15/200311月に5000人、

平成16/200411月に2万人、

平成17/200511月に2万人、

平成18/200611月に25000人、

シーア派民兵の数は、

平成15/200311月に5000 人、

平成16/200411月に1万人、

平成17/200511月に2万人、

平成18200611月に5万人

といわれ、年々増加している。

(ウ)武装勢力の用いたとされる強力兵器について

現地においては、次のような内容の報道がなされている(なお、以下の武器を使用したとされるのが、具体的にどの武装勢力であるかは、証拠上必ずしも明らかではない)。

a ファルージャにおける平成16/200411月の掃討作戦においては、武装勢力の側においても、多連型カチューシャ・ロケットの架台を積んだ車両を用い、ファルージャに近いカルマとサクラーウィーヤにおいて、グラーダやリーリク・ミサイル約160発をアメリカ軍の集結地に発射した。

b 平成16/20041121日午前815分ころ、バグダッドの北方のパラドにあり、アメリカ兵2500人が駐留するバクルアメリカ軍基地に、化学物質の弾頭を装備したロケット弾4発を打ち込まれ、アメリカ兵270人以上が死亡した。抵抗勢力は、過去にもハバーニーヤハドバ、ラマディ、モスル、ドウェイリバの各アメリカ軍基地の攻撃に化学兵器を使用した。

c イスラム抵抗勢力の報道官は、平成16/20041215日、ファルージャにおいて敗走するアメリカ兵を軽火器とBKS、クラシニコフ銃 RBG携帯型ロケットを遣って追撃した、本日少なくとも500人のアメリカ兵を殺害し、100両以上の戦車と装甲車を破壊したと述べた。

エ 宗派対立による武力抗争

(ア)平成18/20062月、スンニ派のテロ組織がシーア派聖地サーマッラーのアスカリ廟を爆破し、シーア派・スンニ派の両派が抗議デモを起こしたが、聖廟破壊に怒ったシーア派武装勢力がスンニ派のモスクなどを襲撃して衝突し、200人以上が死亡する事件が起こった。

(イ)平成18/200611月ころには、首都バグダッドでシーア派とスンニ派との対立が激化し、街を二分して双方から迫撃砲が飛び交う状況となり、マフディ軍がスンニ派地区へ迫撃砲を同月初旬の1週間に47発撃ち込み、スンニ派武装勢力のイラク・イスラム軍が、シーア派地区に迫撃砲44発、ロシア製ミサイル4 発を打ち込んだ。また、同月から12 月にかけて、バグダッドのシーア派地区で連続爆弾テロ発生し、マフディ軍が治安維持に乗り出してテロは収まったものの、アメリカ軍がマフディ軍をアルカイダ以上の脅威とみなして、本格的に掃討を進め、民兵600人と幹部16人を拘束した。そこで、平成19/20071月になってマフディ軍が活動を停止したところ,その隙を狙ってスンニ派の武装勢力がシーア派地区で爆弾テロを繰り返し、同年23日、バグダッドの市場でテロが発生し、135人の死者が出た。

(ウ)フセイン政権下では、暴力的な宗派対立は殆どなかったが、フセイン政権の崩壊により重しが取れ、占領政策の稚拙さとも相俟って、上記のような武力抗争を伴う激しい宗派対立が生じるようになったものといわれており、多国籍軍はこれらに対応せざるを得ず、前記のとおり、特に平成19/2007 年になってから、バグダッド等の都市への掃討作戦が一層激しくなったものと理解される。

オ 多数の被害者

(ア)イラク人

世界保健機関(WH0)は、平成18/2006119日、イラク戦争開始以来、イラク国内において戦闘等によって死亡したイラク人の数が1510 00 人に上ること、最大では223000人に及ぶ可能性もあることを発表し、イラク保健省も、このころ、アメリカ軍侵攻後のイラクの死者数が10 万人から15 万人に及ぶと発表した。

なお、平成18/20061012日発行の英国の臨床医学誌ランセットは、横断的集落抽出調査の結果を基にして、イラク戦争開始後から平成18/20066月までの間のイラクにおける死者が65万人を超える旨の考察を発表している。

平成19/2007年の死亡者については、NGO「イラク・ボディ・カウント」が同年中の民間人犠牲者数は約24000人に上っていると発表した。