海南新聞韓国関係記事
December 18, 2008
1895(明治28)年6月27日付
●愛媛県人、阿蘇軍曹の虎狩
                                    在仁川 愛媛県人 山本亀太郎投

東学党征討後備歩兵独立第十九大隊が賊を追討して羅州城に(全羅道の南端)入るや尚残賊を駆逐する為め本軍を同城に留めり 時に日常の副食物を言ふは牛鶏大根の外亦一物も日軍の口に適するものなきも 是等の物品と雖も既に東学党の掠奪を逞ふしたる後余を受け 殊に滞陣数十日に垂(※なんな)んとし 遂に副食物欠乏す 一等軍曹阿蘇高五郎氏(旧西条藩士 今籍を上浮穴郡菅生村に置く)大隊炊事係たり 糧食を徴発せんとて兵卒三名を率ゐて暴風暴雪を侵して本隊を去ること七里計りある花亭に進みたるは本年二月三日の朝九時頃なりしが

(※後本文省略 『山月記』のように村人から近くに虎穴があって虎の雌雄と子虎二匹がいて危ないから此道を行かないほうがいいと教えられるがそのまま前進、果して虎が現れる。阿蘇軍曹は兵卒を並ばせ号令をかけ鉄砲を発射させると見事命中、虎は岩穴へ逃げ去った。追いかけてみると親虎は死んでいた。子虎は之れを生擒にした。村人に虎を退治したことを告げると大に感謝された。死んだ親虎と生擒にした子虎を羅州城の本隊へ持って帰ったら大隊長の南小四郎氏は子虎もころさせて羅州城の招討使への贈り物にしたという。)