海南新聞韓国関係記事
December 18, 2008
1895(明治28)年5月20日付
●日清戦争と大北電信会社

今より僅かに数年の前までは大北電信会社の所有に係る 対馬、釜山間の海底電信線路は其の価格十二万円内外を以て売買し得らるべきものなりしが 昨年図らずも日清両国の間戦いを交ふることとなり 爾来牙山に平壌に 尚ほ進んでは義州、満州と戦局の漸く広まると共に 我出征軍隊と大本営の間を往復する電信を始め 其の他の公私信にして同会社の海底線を経過するもの愈々頻繁を極め 従て其料金の収入以外の巨額に上り 一時の売買価格と呼ばれたる十二万円は夙に此事変の為めに収入し得たりといふ盛況なるに依り 同会社は俄かに線路の価格を高め今日となりては百万円以上ならでは売放たずと言ひ居れりと聞く
   参考年表 ウェキペディアからの転載
  • 1873年 : 東京〜長崎間の国内電報が開始。大北電信会社とも接続され、逓信省による国際電報の託送が開始された。以後、国内各地への電信線の敷設が急速に進められた。
  • 1883年 : 大北電信会社による呼子釜山間の海底電信線敷設。同社に20年間の海外通信の独占権を与える。
  • 1890年 : 呼子〜対馬間の海底電信線を大北電信会社より買収。