海南新聞韓国関係記事
December 18, 2008
1895(明治28)年3月31日付
●村田単発銃と連発銃

村田経芳氏の発明せる村田単発銃の鋭利なることは此度の戦争に於ても顕著なるが 村田氏は更に村田連発銃(十五)連発を発明し 先頃来日其製造を取急ぎしが 近衛兵には悉く此連発銃を渡されたり 今単発銃と連発銃の力を比較するに左の如し

【実直弾力】単発銃は其弾丸千五百米突(※メートル)(凡我十三四町)に達するも 連発銃は二千米突(凡我十六町)に達する
(後略)

●赤松中尉の信書
出征以来韓地にありて
東徒の討伐に従事しつつある陸軍中尉赤松国封氏が宇和島なる家郷への新書を得たれば左に

二月七日 羅州を発し 高廠 興徳 古阜 扶安 万項の各県を経 東徒残徒を捜索しつつ 
二月十三日
午后第一時三十分亀伏里へ着 二月十四日午前第二時 亀伏里を発し 払暁沃溝県に到り 周囲を包囲し民家を捜索し 或は官吏を取糺せしも 支那人の滞在する者なし 依て仝日滞在 同十五日同所を発し 臨波 韓山 鴻山を経て 二月十九日公州に着 同廿日本隊に合し 二十二日公州を発し 維鳩 温湯 平沢 振威 水原を経て 二十八日竜山へ帰着せり 此日各県分進の第一及び第二中隊の帰着せり (後略)