海南新聞
1894(明治27)年
12月28日
老馬新聞

※大本営掲示第二百三十八号及び第二百四十三号は海黄海道での東学党情報なので割愛。

1895(明治27)年12月28日

●軍艦筑波の消息 (十二月二十六日午後七時六分広島特発

今二十六日午后一時釜山発の電報に曰く
軍艦筑波は全羅左水営より陸戦隊を上陸せしめ 東学党をも撃退し尚ほ同地に碇泊せり

●広島特報
 十二月二十六日発 真鍋俊雄報

洪州の東学党


大本営掲示第二百四十六号
電報 十二月廿五日午后時仁川発 仝仝仝二時十分釜山発 仝仝仝七時十分着

討伐応援として仁川より洪州(※現洪城)地方へ派遣したる中隊の内洪州に留め置きたる一小隊は本日竜山に帰着す 同小隊長斉藤少尉の筆記報告に依れば同地方には賊再挙の憂ひなく 又西路分進隊(※後備歩兵第十九大隊の一中隊)全羅道に進入し公州付近は最早顧慮を要せざるもの丶如し

 
                                     釜山 今橋兵站司令官
川上兵站総監