海南新聞
1894(明治27)年
12月25日
老馬新聞

1895(明治27)年12月25日

●広島特報 十二月廿日発 真鍋俊雄報

全羅道東学党の猖獗


大本営掲示第二百四十一号
電報 十二月廿一日午后六時五十分釜山発 同七時四十分着

全羅道左水営(※麗水)
より当地管理衙門への報知に依れば去十七日東徒千名左水営に襲来し営兵と戦ふ 営兵は三百名許りにして防禦覚束なし 該地の民家は皆焼かれ 人民は逃走せり また順天府は東徒の暴行酷(はなはだ)しく 府使は殺されたり 順天にある東徒の首領は「キンジンバイ及ライウコウ」の二名にして全羅道は目下到る処東徒の暴行酷(はなはだ)しと
十九大隊の目下在地にては分かざるも推測によれば一中隊は慶尚道の西部に達せしならん 去る十九日当地より晋州、河東及び順天方位探偵を派遣し置きたり 向後の状況により当地よりも再び討伐隊を派遣すべし 念の為上申し置く
 
                                     釜山 今橋兵站司令官
川上兵站総監