海南新聞
1894(明治27)年
12月18日
老馬新聞

1895(明治27)年12月18日

●広島特報 十二月十六日発 真鍋俊雄報

東学党を攻撃す


掲第二百三十号

曩に当隊より派遣せし石森大尉 十二月二日江原道平昌(※原州東)より発せし報告十二月八日受領其要領左に掲ぐ

十二月一日平昌に集合せる約三千人の東学党を攻撃す 東徒射撃を以て抵抗 激戦二時間にして漸次退却の色を現はし午後一時全く平昌を占領す 東徒の大部分は旗善(※旌善=せいぜん=平昌の東)方向に退走せり

東徒の死傷及捕虜
 即死七十名
 負傷未詳
 捕虜 
後抵抗せしに付銃殺
 我軍死傷なし

本日は此他付近を捜索芟除(※しゅうじょ)し明日は旌善及寧越(※平昌南南東)に向ふ見込也
  
                       明治廿七年十二月八日
                               京城守備隊長馬屋原少佐