【参考】愛媛県歴史文化博物館編『歩兵第22連隊と日清戦争 年表』より引用

1894(明治27)年
2月 韓国で甲午農民戦争起こる
6月9日 清国軍牙山に上陸
6月10日 全州和約・東軍撤退 (武田幸男 『新版 世界各国史2 朝鮮史』 山川出版社、2000年、242頁。ISBN 978-4634413207。「農民軍は全州を包囲した政府軍と激戦を展開していたが、清日両国軍出兵の報を聞いて、六月十日、政府側と「全州和約」を結んで全州を撤退した。」)
6月12日 第5師団大島混成旅団 仁川上陸
6月中旬 大島旅団京城に集中 清国主力平壌に集中
6月10日  武田幸男 『新版 世界各国史2 朝鮮史』 山川出版社、2000年、242頁。ISBN 978-4634413207。「農民軍は全州を包囲した政府軍と激戦を展開していたが、清日両国軍出兵の報を聞いて、六月十日、政府側と「全州和約」を結んで全州を撤退した。」
6月13日 第10旅団動員下令(第22連隊富岡三造大佐)
7月25日 豊島沖で日本海軍、清国海軍を破る 
8月15日 第22連隊第二大隊京城着
8月23日 第22連隊第一大隊、第三大隊竜山で第二大隊と合流
11月上旬〜12月上旬 東学農民軍第二次蜂起の山場、公州戦

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1894(明治27)年12月14日


電報


●勅語の全文

去る十日 左の勅語あり 大本営より第一軍司令官の許に電送せられ、第一軍全般に賜ふ

勅語

汝等の忠勇なる 克く百難を排して進み 敵を朝鮮国境外に撃退し遂に敵国に入り 要衝の地を占領す 朕深く之れを嘉賞す 時方に冱寒に向かふ 汝等夫れ各自愛して将来の成功を期せよ
●東学党に対する井上伯の決心

目朝鮮に於ける東学党は 頑固浅陋 実に哀れむべきの一団結にして 同国発達の大障害物たるは論なし ゆえに向後同国の政治文物を改良し其独立不羈の途を啓かんと欲せば 勢速やかに該党を根絶せざるべからず 

然るに該党の現状は恰も飯上の蝿に異ならず 鎮撫使至るときは忽ち之れに服従し 軍隊至れば即ち散じて片影だも留めず 一たび軍隊の去るを見れば復た直ちに蜂起す と云ふが如き有様なるを以て 

到底非常手段を施すに非ざれば是等蝿類を排除せしむること能はざるべしと 井上公使渡韓以来専ら意をこの点に注ぎ 此の程終に韓廷に対し 草を分けて東学党を捕縛し其頭領分を悉く誅戮すべしとまで申し込みし由 果して然るや否や
08年10月30日 木曜日
海南新聞
1894(明治27)年
12月14日
老馬新聞