海南新聞
1894(明治27)年
11月20日
老馬新聞

1895(明治27)年11月20日

●広島特報 十一月十七日発

東学党伐討隊増加(大本営掲示第百九十七号)
   十一月十六日午前十時仁川発電
   仝         同十一時十五分釜山発
   仝        午後一時三十分    着


東学党の江原、咸鏡両道に逃走するを防ぐの目的を以て 井上公使は更らに京城守備隊中より一隊を派遣し 東路にある東学党討伐隊を増加することに決し 今十六日京城を発し之れに追及するに就き 曩(さ)きに三路に分遣せる各隊を止め 該守備隊を待たしむべき旨協議ありたり 依て東路にある隊は竹山付近、西路にある隊は天安付近に於て更に一日間滞在せしめ 又派遣の守備隊は路を倍して 来る十八日中には忠州に達せしむること丶なせり

                                           仁川 伊藤中佐
川上兵站総監