海南新聞
1894(明治27)年
10月6日
老馬新聞

1895(明治27)年10月6日

●東学党の蜂起

 九月二十七日釜山発郵便に曰く 有耶無耶の間に煙滅せんとせし東学党は此頃に至りて再び蜂起し 勢い頗る猛なるが如し 彼等の所在潜伏する者窃かに気脈を通じて一時に蜂起し 曾て猛威を振ひたりし忠清道報恩(※現大田の北東)を根拠をなし 慶尚道葛平、赤城、立宮、醴泉 及び 忠清道丹陽(※栄州と堤川の間)、清首等の各邑に嘯聚する者皆な各々千人を下らず 而して大邱近傍には大凡四五十名の東徒窃かに入込みて為す所あらんとせしが 早くも之れを探知して其容易をなしたれば 此徒は不日縛に就くなるべし 而して更に忌むべく悲しむべき一報あり 台封の兵站司令部副官竹内大尉は多数の東党に囲まれたれば其後の報なしと雖も 衆寡敵せずして 恐くは其毒手に殪れたるならんと云ふ 右に付 本港に在りし兵士若干名は昨日出発したり云々