海南新聞
1894(明治27)年
10月2日
老馬新聞

1895(明治27)年10月2日



●朝鮮草賊の敗走九月三十日午前二時十分釜山発 同五時広島着電
過日来報告したる東学党なるものは一種の盗賊にして 良民を害し地方官吏を殺し金穀を奪ひ電線を絶つ等暴行至らざる所なく 傍ら日本人民を敵視する者なるを以て我兵は座視するに忍びず 朝鮮政府の為め 之れが鎮圧に従事しあるなり 
第六師団工兵以下廿五名が、後藤少尉之れを率ゐ誰宮より聞慶(鳥嶺のふもと)に進む途中 昨日午前九時頃、石門(聞慶の東五里)にて東学党凡そ六百に出逢ひ 彼の険要に依り熾(さかん)に発火防禦するに関せず進撃 之れを破り 賊の死者二名 負傷者多数の様子なれども 彼等抜け去れり 我兵死傷なし 彼の陣屋は焼払ひたり (中略)

敗賊は醴泉(安東・豊山の西)の方へ逃れし様子なり 工兵は本隊に集合せしむる故 敗賊は尚ほ他の兵を以て追撃せしむ 大邱付近にも不穏の兆あり 同処より兵を出せり 其他の地方も不穏の聞え多ほし 専ら探偵中なり