08年10月30日 木曜日
海南新聞
1894(明治27)年
6月30日
老馬新聞

【参考】愛媛県歴史文化博物館編『歩兵第22連隊と日清戦争 年表』より引用

1894(明治27)年
2月 韓国で甲午農民戦争起こる
6月9日 清国軍牙山に上陸
6月10日 全州和約・東軍撤退 (武田幸男 『新版 世界各国史2 朝鮮史』 山川出版社、2000年、242頁。ISBN 978-4634413207。「農民軍は全州を包囲した政府軍と激戦を展開していたが、清日両国軍出兵の報を聞いて、六月十日、政府側と「全州和約」を結んで全州を撤退した。」)
6月12日 第5師団大島混成旅団 仁川上陸
6月中旬 大島旅団京城に集中 清国主力平壌に集中
6月10日  武田幸男 『新版 世界各国史2 朝鮮史』 山川出版社、2000年、242頁。ISBN 978-4634413207。「農民軍は全州を包囲した政府軍と激戦を展開していたが、清日両国軍出兵の報を聞いて、六月十日、政府側と「全州和約」を結んで全州を撤退した。」
6月13日 第10旅団動員下令(第22連隊富岡三造大佐)
7月25日 豊島沖で日本海軍、清国海軍を破る 
8月15日 第22連隊第二大隊京城着
8月23日 第22連隊第一大隊、第三大隊竜山で第二大隊と合流
11月上旬〜12月上旬 東学農民軍第二次蜂起の山場、公州戦

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1894(明治27)年6月30日


電報


●日清談判不調
二十八日午後二時二十二分東京特発
既に昨日電報せし如く 夫の大島公使が朝鮮政府及清国講師袁世凱氏に向ひて要求せし 朝鮮の政治を改革して申請の独立国と為すべきの談判は 朝鮮政府は承諾したるにも拘はらず 清国は頑として我要求を退け 遂に談判不調となりてれば 大島公使は我国予ねての素志に拠り 日本帝国の速力朝鮮政府を改革して 真正独立国を為すべしとのことを 更に朝鮮政府に要求したりとの風説盛んなり

雑報


●清兵馬山に進む
去る二十五日その筋に達せし電報に拠れば牙山駐屯の清兵は此程馬山浦まで進みたり

●東学党再び起らん
東学党は日支両国の出兵を聞き散じて各所に潜伏せしも機を伺ひ又々蜂起する恐れありと云ふ