雑報

清国 開戦の準備をなす

警報 清国上海より来る警報とは何ぞ 清国が陰(ひそか)に開戦の準備を為せりとの風聞是れなり 左の六月十九日午前上海発電を読め

招商局の汽船は船籍を日耳曼(ゼルマン)に移すべしとの噂あり

船籍を日耳曼(ゼルマン)に移すとの一時は何故に開戦準備を意味する歟(か) 是れ蓋し先例あるに因れり 頃は去る明治十七年清国が仏と事端を開き ついに開戦の已む可からざるに至るや 清国は招商局の汽船を挙げて其船籍を米国に移しラッセル商会の取扱となしたることあり(以下略)

●支那公使及韓廷 日兵の撤去を請求し 大島公使之れを拒絶す

我軍隊の派遣は韓廷の頗る驚愕せし所なりき 彼は我兵の派遣を以て援兵を清国に乞ひしに因れりとなし 先づ撤兵の儀を清国に請求し 又日本にも請求せんと決意し その旨を支那公使袁世凱に通ぜしに 袁世凱氏は答ふらく 「清国兵士は既に糧を整へ途にあるを以て 今故無く撤去する事能はざれども 日清両国の兵士一所に駐在するときは衝突の憂あれば 世凱自ら仁川に赴き大島公使に面会して日兵入京の事を談判すべし」と 而して世凱機を失ふて未だ仁川に至らざりしに 大島公使は已に海兵を引率して旗鼓堂々京城に入り 尋(つい)で我旅団兵の海兵に代わりて京城に入るや 袁世凱の苦心は全く水泡に属したり 既に水泡に属す 彼豈空しく手を拱する者ならんや 彼は遂に韓廷と共に我軍隊の撤去を申込めり 去る廿日午前六時三十分京城発電は実に左の如く伝へたり

我大島公使は清国公使袁世凱及韓廷より日本兵撤去の請求を拒絶したり

彼等は遂に我兵の撤去を申し込み我公使断然之を拒絶せり 知らず今後の形勢如何に変遷するかを

●清兵一万人入韓の説

廿日午前六時三十分特電に曰く「清兵一万人義州より来(きたる)の説あり」 韓山の風雲愈々急

●金玉均の遺肢

故金玉均氏の四肢は
刑戮後之を分割して八道に転致せしが 両足は慶尚道に送り大邱営門に右足を曝し 数日を経て右道連郡に廻し 左足は左道各州に送りたる後 南海のモーラン島より終に海中に投じたりと

●日露両国の軍艦 清国海軍操練を実見す

(本文省略)

●新納氏の行衛(ゆくえ)

京城来電に曰く 殺害せられしとの噂ありし在韓帝国公使館付武官同氏は其踪跡を失するとの説あり 或は曰く 深く内地に入り東徒の拘禁するところとなりたるにはあらざるか

●全州の鎮定

全州を官軍の手に復し 東徒逃れ去りたるは 事実なるが如し 然ども一時の鎮定なるやも知れず


(※関連サイト 全州和訳が結ばれ、東学農民軍が撤兵したのはたのは六月初旬であった)
08年08月19日 火曜日
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明治27年
06月24日一面


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