明治27年
06月20日

●朝鮮戦報

袁世凱の狼狽

(本文省略)

京城の壮丁を徴発す

朝鮮京城の常備兵は新兵及旧式の者併せて凡四千に過ぎざるにより政府は今回京城内に於て臨時に二百余名の壮丁を徴発し以て東軍(※東学軍)の襲来に備えたり

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(本文省略)

巡辺使出立

両湖巡辺使(中略)今朝忠清道の恩津に向て進む 蓋し東軍の全路を防阻せんが為めなり

洪鐘字 出でんとす

金玉均を狙撃したる洪鐘字は近々の中に一隊の将となりて東軍征討の軍に加はるとの噂あり(後略)

●義勇兵先づ広島に起る

今回朝鮮東学党の乱起るや 自由党は檄を各地方に飛ばして砲声弾響東亜の山河を震撼するの時 義勇の心を鼓し 竭起(※けっき=決起?)直ちに国難に赴くの備へをなせと伝へたり 今日の情勢未だ大事には至らず東亜の山河じゃ未だ震撼せざるなり 而して今や広島地方の壮丁は隊伍を組み、旗を押立て義勇兵の兵を以て渡韓の義を県庁に出願したりと聞く 日東男子の義勇は平時に於て斯の如し 若(もし)夫れ砲声弾響東亜の山河を震撼するの日 鶏林八道(※朝鮮全土)の原野は我が義勇軍の旌旗(せいき)を以て蓋はれん 之を思へば快哉又快哉

●韓政府の姑息手段

(※韓国政府の下級官吏更迭策を批判す 文末のみ)東学党の大本旨は 其(※閔族支配)の源を清むるに在り 弊政革新に在り 区々たる官吏の罷免は其関する処にあらざる可し

●文禄の役と我が兵の人韓

豊太閤文禄の役を去ること殆んど三百年にして 我が海陸軍の韓地に入るもの数千、文禄の役は、名、明に通ずるの先導を為さしめんとし 今回の事たる其国に内乱在り 我居留人民を保護せんとするに在りと称す 出師の主眼異なりと雖も 帝国の威武を海外に宣揚するは即ち一なり (後略)

●大本営総裁

(本文省略)

●電信悉く不通

京城釜山間の電線不通をなりし為め 京城及び我邦間の電信は京城より更に上海に出づるもの 即ち義州線に依りて遠く支那内地を迂回せざるべからず この為 軍事上通信上我邦に於て少なからぬ不便を感じ居る有様にて 現に従前は数時間にて京城及我邦に通じ居りしものが 今日は上海を迂回するが為め 数十時間ならでは到着せざる事さへあり (後略)

●朝鮮京城の地勢概況

京城は一名「セウル」と称し 仁川港を距(さ)る東へ七里 (以下京城について詳細に紹介あるが略す)

08年08月16日 土曜日
海南新聞
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