明治27年
06月19日

●朝鮮戦報

三百七十の兵 行衛知れず

洪招討使が率ひて賊地に赴きたる兵丁八百の内 三百七十余名は行衛知れずなりしと 知らず これ東徒に降伏せしんは非ざるか

白鉢巻の抜刀武者

全州長城の合戦の時 東学党中より白鉢巻したる抜刀の武士十数名現れ出で 瞬く間に官兵数十人を切り倒せしが 其軍振(いくさぶ)りはトテモ朝鮮人の為し得る所にあらざれば 如何に考ふるも 東徒中日本人ありとは虚説にあらざるべし

朝鮮第一の峰台

(本文省略)

朝鮮公州の大市(おおいち

(本文省略)

国王と宗廟の地

(本文省略)

韓民は資産を作らず

朝鮮の田地高き者一反分三円 安き者一反分五十銭 何故斯く安価なるやと云ふに、勤勉して土地を肥し資産を造る者あらば 酷虐なる地方官は口実を設け難題を仕掛け 応ずれば幾多の財を取り、応ぜざれば笞杖忽ち身に加はる 実に朝鮮国にては財は禍を招くの門戸なれば 勤勉業に就く者なく、何時家財を挙げて官に没入せらる丶やも知れざれば 千里の沃野も荒蕪に帰すること常なり 
東学党の起る無理ならず
 明治27年
06月19日

 電報
 ● ○○の出発
             十六日午后零時五十八分 東京特発

○○若干昨日午後十時頃肥後丸にて釜山へ向け出発せり (再記)
 雑報
●李鴻章伯の驚愕

(本文省略)          

●袁世凱氏の狼狽

(本文省略)          

●在韓我旅団の配置

(本文省略)          

●我旅団入韓の光景

(本文省略)          

●我海軍帰艦

(本文省略)          

●我輸送船

(本文省略)          

●混成旅団及旅団長

我国より今回朝鮮へ派遣せし陸軍々隊は 第五師団(広島)兵中を以て混成旅団を組織し派遣したるものり 而して其の混成旅団長は第九旅団長陸軍少将大島義昌氏に任ぜられたり

※「当時、第二十二連隊は、第五師団(広島)隷下の第十旅団(松山)に属していました」(『愛媛と戦争』愛媛県歴史文化博物館)

●我兵の京城仁川間聯絡

朝鮮にある我混成旅団は仁川と京城とに分屯するも(以下略)

●我兵仁川上陸の模様

(本文省略)          

●我軍外人を驚歎せしむ

京城発の電報に曰く 在朝鮮の我が軍隊規律頗る厳粛にして(以下略)

●英艦朝鮮に向ふ

(本文省略)

●富岡中佐の意気

過日少佐に昇進し近衛大隊長より第二十二連隊長に補せられたる富岡三造氏は・・・
08年08月13日 水曜日
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