明治27年 06月15日 |
電報
●支那兵一万 仁川に入る 十三日午後六時(七時?)十六分 東京特発 支那軍艦の軍隊一万 仁川に入港したり支那兵 ※(これまで「清兵」とあったが今回初めて「支那兵」) 雑報 ●陸軍臨時給与規則 去る十一日勅令第六十三号にて陸軍臨時給与規則を公布せり 左の如し 第一号 朝鮮国へに派遣する軍人軍属の給与は此規則に拠る (以下省略 第十一条まである 海軍臨時給与規則は全文省略) ●朝鮮変乱の御慰問 (本文省略 天皇の朝鮮国王慰問について) ●朝鮮事件の上奏 朝鮮事件の電報は宮内省に達するや直ちに其模様を上奏せんとこと丶なりたり 上奏するに当りては 詳らかに御下問あらせらる丶趣に承る ●朝鮮内乱と日本政府 朝鮮内乱に就き 我国の出師は 公使館領事館居留国民の保護のためなるは 已に政府の明示する所なり 之に反して 清国の朝鮮に軍隊を派遣せしは 世説の如く朝鮮政府より内乱平定の依頼ありしに由るか 或は朝鮮を属邦視して内乱を平定せんとするに由るか 之を明かに知るを得ず 兎に角多数の兵を派遣し 内乱平定の責を負ひしは事実にて 而して 内乱平定の後は多数の兵を駐めて如何に朝鮮政府に対するか 従来属邦(ぞくこく)視して 往々外人をして奇異の思ひをなさしめし事より考ふれば 或は 暴慢非道の事なきを保せず 我は隣邦(りんごく)の好誼を以て 朝鮮を独立の国と認め かつ米国に紹介して 遂に欧州各国認めて独立となせしまで誘導したる今日なれば 仮令(たとい)清国が如何なる事情よりしても 仮にも属邦視せん傾向あらば 我は断然此際清国に交渉して独立を表明するに至るべしと ●東学党は戦はず 去る八日京城発の電報に「昨夜京軍長城に逼(せま)る 党軍戦はずして全州に走り 篭城せる兵と合して敢て出でず 京軍屡々戦を挑むも 顧みる所なし 李氏及び玄氏は今日(即ち八日)全州に向ふとあり ※1894年5月31日 東学軍が全州を占領した。6月10日 東学軍は東学軍が提起した弊政改革案の受理を条件に政府との間に「全州和約」を結んだ。8日の電報はその直前で15日(本日)なで「和約」締結の報は未着のようである。 ●京城戒厳 九日発の釜山来電に「朝鮮政府は東軍の進入を防がん為め 興仁、崇礼の二門に守兵各六十人を置き 出入の内外国人を取調べ居れり マギグ ベキサン五箇所の烽台に於ては烽烟を揚るの準備をなす 京城一円商業全く息(や)む」とあり ※興仁門は東大門、崇礼門は南大門とも。 |
08年08月11日 月曜日 |
海南新聞 |