08年08月09日 土曜日
海南新聞
老馬新聞

明治27年06月13日
雑報
朝鮮事件に関する自由党の決議

自由党本部に於ては去る八日板垣総裁及政務委員星、片岡、石原其他重なる人々相会し協議の末左の事項を決議したり

一 我党は視察として朝鮮に人を派遣する事
二 我党は朝鮮事件に対し委員をして内閣大臣を訪問せしむる事
三 我党は各府県の党員に向ひ朝鮮事件に関する我党の方針を示し及諸般の注意を為す事
右決議の上直ちに諸般の準備に取掛かりたり

●自由党の朝鮮派遣員

(本文省略)


電報
●通信社と新聞紙条例
                十二日午後二時十二分東京特発
各新聞通信社は本日より新聞紙条例の制裁に憑(よ)ること丶なれり

雑報
●朝鮮戦報

晋州以西は戦場の如し

慶尚道晋州城より十里を隔てたる地にト△山と云ふ所あり 東学党近来此地に入り来り 目下数千人も集合し居るに付 同州兵使営よりは兵使自ら五百余の兵を卒ゐて韓暦四月十一日同所へ出発せしが 尚ほ晋州城より以西もしくは以北の地は殆んど戦争の姿となり危険此上なしと云ふ

敗走の朝鮮士族

去る十五年の変乱に閔族の誅を免れ咸鏡道に脱走せし千余名の士族は軍事に精△なるもの多く 刀槍銃砲の使用に熟し居るものなれば 今回東学党の賊勢日に猖獗なるより 若し此士族等の賊に加はり居らずやと心痛一方ならずと云ふ

漏すものは斬に処す

朝鮮政府は東学党の動静の外に漏る丶ことを△く嫌ひ何人にても其消息を他邦人に伝ふるものは直ちに斬に処すべき旨公布せり 故に仁川釜山等に於ても同国人は一切△黙してなにごとも噂するものなし

東軍中の白巾党

全羅東学軍の中には白巾党と称して猛烈無双の一派あり 而して(以下略)

東軍大将軍李氏

(ある村は住人一千人すべて東学党。その首領は十三四歳の少年である・・・など 本文省略)

府使京城に逃走す


全羅道ヒャンと云ふ所の府使 過日突然東学党人二名を引き捕へ撃ち殺したるに 其事忽ち東学党に漏れ聞えければ 同党人一千余名は翌日同府衙に馳せ向ひ俄に之れを取り囲んで攻め立てければ 府使は周章狼狽して京城に向ひ逃走せりと

上納米東学党の手に落つ

又全羅道にコグミと称する邑に倉庫あり 朝鮮政府は此処に上納米数千石を貯へ置きしが 同倉庫の監守役は府衙襲撃の挙あるを聞くや是れも亦直ちに孰れへか逃亡せり 因て右庫米は悉く東学人の手に落ちたりを云ふ

朝鮮の常備兵

(総数四千人ばかり 本文省略)

東軍の総勢四万余

東学党の軍器は多くは全州監営を陥れたる時に掠奪したるものなるが 同監営に備えたる銃砲は僅かに千余に過ぎざれども 官軍にして賊に降りたる者は悉く銃砲を携え居るを以て 全州落城後の東学党は其勢実に猛虎の檻を脱したる如く 沿道の壮丁にして彼れに与する者 日に其数をまし 目下其総数四万人と見受けらる 而して土民の壮丁は多く木刀竹槍を携へり

東学党の快活

東学党に降りたる官軍の多数は独逸もしくは仏国の新式を練習し 多少軍隊の進行 軍隊の組織に熟し居るを以て東学党の運△は頗る快活なり

朝鮮官吏の誇大

(朝鮮官吏の報告は針小棒大 本文省略)

魚允中

(本文省略)

英魯の野心

(本文省略)

派遣清兵の実数

(本文省略)

派遣清兵の司令官

(本文省略)

援兵派遣と袁世凱

(本文省略)

東軍船舶を掠奪す

本月四日午后京城特発の電報に曰く 「東学軍は舒川沖合い(舒川は忠清道の南端 △山島の近傍なりと云ふ)に於て運漕船及ぎ漁船八隻を掠奪す 仁川領事の訓諭に由り
日本漁船は悉く慶尚道東莱沿岸に引き揚げ等分の内全羅近△の漁場を止む