08年08月07日 木曜日
海南新聞
老馬新聞

明治27年06月12日
特報
朝鮮戦報

朝鮮の変乱 

今や△△愈々切迫して 殺気東洋の天を覆はんとする勢ひあり 夫れ 朝鮮の変乱は 朝鮮の変乱にして朝鮮の変乱にあらざるなり 其関係東洋一般に及ぼせり 我陸海軍大臣は新聞紙条例第廿二条を適用し 軍人の進退 軍事軍略は掲載を禁ぜられたり 但し彼の国に於ける景況並びに 之れに関する幾多の出来事は之れを詳報するを得るが故 続々報道せん

清兵一万人を派す

清国政府は朝鮮の請に依り出師の準備をなしつつありしが さる七日天津より到達したる報に拠れば 其派遣の清兵凡そ一万なるべしとなり (以下略)

清兵発向す

(本文略)

朝鮮公使と外務大臣

(本文略)

外務省と清国公使館との往復

(本文略)

巨魁は誰ぞ

東学党の巨魁は 或は鄭氏ならんと云ひ 或は△氏ならんと云ひ 或は李氏 或は金氏ならんと 其伝ふる所区区にして一定し居らず 京城に於ても 未だ巨魁の何人なるかを知らざる位なれば
多分其首領と称する如きものは之れなかるべし

東学党の兵器

昨年東学党の蜂起せし際 我が海軍省の雇となり同党の根拠地に入込みし某氏の直話に依れば 東学党の兵器は「パイプ」にヒビを生じ台の毀損せし火縄銃 柄の曲がりたる矛 刃のコボれたる剣 其多数を占め 劇戦用に立つべきものにあらず 去りながら 今回は政府より全州の新式兵に携帯せしめたる「スナイドル」五百挺ありて 今や同銃は全く同党の手に属し 又官兵の戦死若しくは 走遁して賊の為めに奪はれたる「マルチ子」銃凡そ百五十挺ありしと仮定するも 実地戦争の用に立つべきものは僅に十挺位のものならんと

金氏の実弟東軍(※東学軍のこと)にあり

故金玉均氏の実弟金玕(※旁も「王」)均氏は過る十七年の乱には老父看護の為め郷里にありて事に関係せざりしにも拘はらず 家兄の罪にて斯(この)程より牢獄に繋がれ屠所の羊と一般なりしが 近頃風説する所に拠れば獄を脱走して東学党に加盟したる由 信偽未だ詳かならざれども 同氏の器量は 家兄と相上下して決して劣らず 朝鮮国内に稀なる人物なりと云ふ

長城の戦況(官兵の背走)

官軍は霊光に仮営を設け 賊軍は長城の傍なる山腹を占拠し 唯両軍相互に挙動を窺ふ而已(のみ)なりしが 官軍は兵を二隊に組織し 二百名に大砲二門を備へ高敞を経て 又一隊は五十名に大砲二門を備へ森渓を経て いづれも賊陣を目指し出発せしは五月廿七日午前四時頃なり 同午後六時頃長城に着す 賊軍は其数漸く百名に過ぎず 甚だ虚なるが如し 官賊 陣を隔るつること僅に三四丁 相互に銃撃を始めたるに 賊軍は次第次第に多数となり 殊にまた左右両方より伏兵蹶起し 其人員数千に達し 其勢ひ破竹の如く 官兵は僅々一時間を経ざるに業(すで)に已(すで)に大敗し 砲兵士官一名は生掻(いけど)られ 尚大砲二問を横奪せられ 死傷者実に百数十人の多きに達せりと云ふ

△△△△(複写不良で読めない)の景況

招討使は兎角に兵数の不足を(・・・複写不良で読めない・・・)に於て臨時に民兵を△△せんと欲し一の回文を発して各邑各里より三四十人づづ召集することに△△したり △△△△ ある日の事とか百五十人の民兵一隊△門に来りて(・・・複写不良で読めない・・・)に応じて馳せ参りたる旨を述べ△△として右の回文を示したれば 招討使も何の疑ふ所なく其義を賞し手厚く取扱ひ直ちに之れを隊中に編入したり 
それより招討軍は東徒の長城に在るを撃たん為め進軍して長城の近傍月坪に到りたる時東徒に出会ひて開戦中右百五十の民兵は一声の合図と共に忽然二た手に分かれて 左右より夾撃し 京兵は三方より合撃されたれば 全軍潰裂人馬△△散々に△き倒され算を乱して斃れたるもの四百人に余り 僅に残れる敗兵も只雲霞と逃げ失せたり 是より東徒は勝に乗じて進んで全州を隔つる三里の所に逼(せま)り 其午後に至りて終に該台営を乗取りたり 右百五十人は全く民兵にはあらずして 東徒が詭計を設け回文を偽造したるか又奪ひたるか 民兵に扮して入りこみたるものならん

右は去月三十一日完営より発したる電文に依て知られたり 但し同日の同営発の電報に依れば 午前に一通は 乱徒三里内に迫れり と云ふ 午後の一通は既に城下に迫れり と云ふ 事右二通のみにして其後同営は賊の有に帰したれば電信全く不通となり 完営にては一介の兵士を留めざるのみならず将庶使より給仕の童子に至るまで影を止めず逃げ失せたるにより 最後の電信は監司自ら局に到りて発したりと云ふ

全羅道の全州

全州は京城を去ること六十余里 全羅道第一の都会なり 監営あり 新式の兵七百及土着の兵四百を備ふ 金文△ 之が監司たり 監司は行政、司法、軍権を掌握し 其勢力頗る強大なり 本年東学党の起こるや 政府は最初は例の暴動と認めて敢て意に介せざりし 然るに東学党は昨年とは其軍略を異にし 地方侵略に意を用ゐず 一挙に全州監営を陥れんことを謀る 政府は之れを知得して大に狼狽し 数百の援兵を出して之れを追討したり 然ども東学党の勢いは頗る猛烈にし遂に全州の監営を陥いれ 武庫を発(あば)きて砲銃刀剣を掠奪し 数倍の勢力を増加したり 茲に於て監司隷属の兵士等も大に恐怖し 遂に東学党の軍門に降りて 彼の味方となり以て官軍に敵するに至れり 東学党が数日の間に全羅一道を席巻し また容易(たやす)く石城を陥いれたるも全く以上の兵器を得たると官軍の兵士を味方に引き入れたるより出でたるものなりと云ふ

(複写不良で読めない)

※このあたり複写不良で読めない

東学党中の外人

東学党中に一人の外人ありて同徒一方の指揮官となり居るとの風雪あれど其何国人たるは固より判然せず 然るに陸軍大尉田中次郎なるものあり 明治二十三年の頃伝令使となりしが 後非職となりて馬関地方に流浪し 玄洋社の壮士数十名と共に朝鮮に航し 其後在京の友人に向て 医師数名を派遣せられたき旨促し来りしことあるより 同人を以て東学党中の外人なるべし と云ふものあり 去れど固より坊間の風説に止まり 未だ俄に信ずるべからず

●金玉均氏の遺族

(本文省略)