08年08月01日 金曜日
海南新聞
老馬新聞

明治27年06月01日
●東学党暴動彙聞

◎毎事意外に出づ

抑も今回の騒乱に関し朝鮮政府の意外に出でたるもの三度に及べり

昨年の東徒は一遍の綸旨と魚允中の按撫とに由り終に解散したるを以て今年も亦其例に依り説諭を以て鎮撫せんとしたるに毫も其効なかりしこと 是れ其一なり

既に説諭の効なきを認めたるも 八百の征討大軍一たび其地に至らば 渠等(かれら)烏合の衆、風を聞いて潰散するならんと想ひたるに 却て反動の勢ひを顕はして 倍々(ますます)暴威を逞しふすること 是れその二なり

加之(しか)のみならず 洋式の練兵を以つて編成したる征討軍は 英気凛然 隊伍森然 動かざる山の如く静かなる川の如く 精鋭無比と頼みたる甲斐もなく 其一百余人は脱奔して行衛(ゆくえ)を知らず 之れが為め軍気大に沮衰(そすい)したること 是れ其三なり

斯くの如く毎事其案に違ひたれば 朝鮮廟堂の慌忙も亦謂れなしと云ふ可からず 是(ここ)に於てか 早くも外兵値(ママ 植か)入の議は起これり

◎外兵借来の議 排斥さる

外兵の力を籍(か)りて鎮圧せば一も二もなしとの無雑作なる議論は早くも廟堂の一隅に起れり 外兵を言えば無論差詰め清兵に外ならざるべし 然ども朝鮮廟堂亦人あり 何ぞ此妄議を容れんや 即ち左の反論に依りて排斥されたり

其要に曰く
東徒の猛勢不測 或は皷行(ここう)北上の患なしとすべからず 最も痛悶に堪へたりと雖も 然ども内乱は鎮圧するに外兵を以てせんは啻(ただ)に自主自護の本旨に背くのみならず偶(たまた)ま以て外国干渉の端を開き 其後患言言ふ可からざるのあり 殊に清日(しんじつ)孰れの兵を借らんとするも条約(天津条約ならん)の現存を奈何(いかが)なさん 若し之を破らしめんか 両国の争端は乍(たちま)ちに開けて 八路を挙げて清日交鋒(こうほう)の修羅場たらしむるが如き大事に至らんも亦計るべからず 我国の無事茲に十年なるも畢竟両国条約の賜と云はざるべからず 之を是れ問はずして 漫(みだり)に外兵借来を言ふ 亦た思はざるの甚だしきものなれば 自今以後断じて之を口にすること勿れ 云々 

◎招討史 援兵を要(もと)むる急なり 

韓暦四月十四日完営発 招討使の電報に云く 派送の探偵者馳せ帰りて告げらく 東徒の大将飛檄を伝へて云はく 我等天師の来降を待ち其令次第にて事を行はんとす 現今吾が下卒の巡行に際して囚はれたる者五十名あり 是れ最も無極痛駭の事たり 依て各部の諸将各々一千五百の兵丁を率ひて金馬木蛇に来会せよ 慎んで期を誤る勿れ 百余の将卒は各々各部署を守り決して将令に違ふなかれと 彼の徒の不測(東徒の思いがけない攻撃)この極に至る 駭然の事(驚かされること)枚挙す可からず(数え切れないほどである) 兵丁火速送発 伏して待つと

但し金馬木蛇とは彼の徒の間に用ふるにして△△(「陰語」か)にして恐らく午の日の未の刻と云ふが如き期日を示したるものならんと察せらる

◎官兵の脱走多し

官軍兵には全く勇気なく戦場の役に立たざるものあれば 勇気あるも寧ろ官軍の為めに働くことを欲せず 賊軍の為めに死力を尽くさんとの考えを抱くもの少なからず 自然将官の号令も充分に行はれ兼ね 憂慮一方にあらざる由なりしが 此頃の確報によれば 洪招討使が率ゐ居たる八百の兵員中二百人許(ばかり)は何時の間にか営所を脱走し行方を失せたるが 其後の探訪によれば黒地の制服を脱し 白衣を着けて敵陣に混り銃剣を官軍に向かへつ丶ある趣なりと云ふ

◎牛馬を掠奪せられ 運搬の途(みち)断絶す

全州地方の東学党は其後愈々猛勢を逞しうし 近傍一帯の牛馬を残りなく掠奪せしかば 官軍は物資運搬の途全く断絶し 不便言はん方なく 此報京城に達せしより 廟堂の有司も大に之を憂慮し 此程顕益船にて兵員を増派する時 該一行が当港にて日本人使用に係る荷車拾五輌を購入し携帯したるは全く右の為なりといふ

◎寄集せる貢米 殆ど敵の有となる

八道中全羅地方は 米の産出量最多く 政府の租税は金穀二様を以てする中にも 全羅地方は大概穀物の一種を以て上納する慣例にして 各地方の貢米(くべい)は便利なる沿岸諸港に寄集し更に之を海路仁川港に運漕する都合にて 毎年今頃は恰も此時期に到来した左水営、右水営、木浦、古今島、群山の諸港に寄集せる貢米の数量は随分夥多(あまた)なるが 之を回漕せん為めに漢陽号にて出張したる運転委員金恵容氏の如き 別項記する如く生擒されたる通りの始末にして 今僅かに出張回漕の見込あるものは群山の一港にして 他の諸港は悉く敵の為に遮断せられ 全く彼等の有に帰したりとの事なれば 此儘(このまま)尚ほ日数を経過すれば 賊軍の糧食充分にして 官軍の糧食欠乏を見るやも計られずと云ふ者あり