08年07月30日 水曜日
海南新聞
老馬新聞

明治27年05月27日 雑報

●東学党暴動詳報(承前)

◎東学党の実力如何

這回(こんかい)の騒乱を概観すれば 最初は 民乱 主となり 東学派之に付和して客となり居りしが 其後気焔次第に盛んなるに従ひ形勢を一変し 東学の派 即ち代わって主動の地位に立ち 民乱の群 之が客として雷同し 民乱と唱ふるよりも 寧ろ東学派の反乱と称する方 至当なるものの如し 然らば東学派の実力果たして如何

彼等は地方官を逐ふて兵器食糧を分取せり 加之(しかのみならず)諸々の貢米庫を襲ふて之を掠奪せり 而して其数大凡四千と称する 内二千人許(ばかり)は火縄銃を携帯せり 金力に於ても亦た相当の備を為せる例証は 地方住民の米糧等を奪掠するのこと決してなくこれなく 必要の食料品を購入するにも立(たちどころ)に不足なく代金を支払ひ 為に同地方の兵無慮一百人を有し 兵を発する時には隊を二列に分ち 凛然として進行する様 稍々洋式に準拠するやの感ありて 其動静如何にも地方民の威服するに足るべき勢力を有し 決して昨春に於けるが如き 烏合軽挙の者にあらず 昨春失敗後十分兵気を鍛錬せりものならんと云ふ 

◎又一説には 
東学党なるものは如何なる人種の聚合せるものなるかと尋ぬるに一括に評下し難きものあり 其故は 昨年の東学は 内に向ては 姦侫(かんねい)を斥け忠良を進めんことを論じ 外に対しては 斥倭斥洋を唱る等 超然国家的の主義を抱持し 其素行の如きも沈実を旨とし妄挙を避け専ら地方土民の歓心を買わんと勉むること尠(すく)なからざりし 是等は多くは忠清道の一派に属するもの丶如し 然るに今回全羅に起こりたる一派は固より民乱に混じたるものなれば 一定の主義あるに非ず 其党類の如きも 落鬼の士族あり 盗賊博徒あり 農商工中の無頼漢ありて 凡そ囚徒匪類を以て成れる団体なれば 其挙動も随て暴戻を極め 自ら忠清の一派と基本色を異にするものあるを以てなり

要するに 東学党なるものは 不平不満の徒類を吸聚する磁鉄にして 虐政暴剣は地方所在皆な是なるを以て 付和雷同する者の多きも敢て怪しむに足らず 其勢力の地方に盛んなる亦故なきに非ず 斯(かか)る情勢なるを以て 現に職を地方庁に奉ずる吏校捕将の如き末吏に至るまで多く欵を東学に通ずるより 全羅忠清に官たる府伯守令も 率いる部属の 果たして味方たるか将(は)た敵たるかを判別するに苦しむと云ふ

◎地方官多くは遁走す

当初乱民の蜂起するや 三四の地方官は脆くも忽ち敵毒刃(どくじん)に斃されたりとの噂ありしが 実際左に非ず チラチラ不穏の兆候あるや 油断大敵 三十六計走るに如かず 平素悠長を以て称せらるる先生達も今は大の狼狽を極め 東西申合せたる如く 孰れも若干の財貨を腰に付け 妻子引き纏(まと)め 逸早くも身を何処かに潜め行方を失せたるが 此の頃聞くところによれば 全州の監営に落ち延び居ると 一府県を制御すべき地方長官其人に在りてすら 敵の大勢に劫(おびや)かされ鎮定の勇気は愚か 防禦の力さへなく僅に身を以て免れたる有様なれば 以下属僚の面々は何とて何時迄愚図愚図すべき 一人二人と次第次第に鼠が穴に逃げ込む如く残りなく逃遁し 官衙は全く明け渡しの姿となり 賊は進退駈引(しんたいかけひき)一に我意の如くならざるはなく 寧ろ戦ふ相手を失ひ無事に苦しむ風なれば 思ひ思ひに官衙に押寄せ 軍器糧食等の用意あるものを手当たり次第に分取し 気勢は一層強大を加へたちと云ふ

◎賊兵の根拠

賊兵が金城鉄壁と恃みて根拠となすところは古阜と全州の中間にある白山なり 山の直立凡そ二十五間 老松疎立して三面絶壁 近づくべからず 一面の経路を攀じ登れば深渓ありて 能く数千の人を潜ましむるに足ると云ふ

◎賊兵の装束

賊兵は凡て白布を頭に捲(ま)き以て徽章となせる由 尤も騎馬の一百人計(ばかり)は通常の服装なりと云ふ