18950919

 
明治29年
5月19日
 
 ●東学党のこと

本編は曩(さき)に東徒討伐隊に随行して其の実状を目撃したる某氏の取調に係る一見参考に資すべきものあれば左に之を掲ぐ

道主 教長 奉教 執綱 大正 中正 奉道  
             
大接主 小接主 私接
 接主
接可 省察 禁察 大統領 

道首は大先生とも称し即ち崔時享なり 教長、奉教、執綱、大正、中正、奉道等六種は所謂官名にして 大接主、小接主、私接、接司(ママ)、省察等は職名なり 而して 大統領は、沃川、永同、青山等の地方にて始めて聞く処にして 他に此名を有するものあると聞かず

右三邑の大統領は鄭時権なり(朝鮮未来記に李氏亡びて鄭氏興る と云ふ事あるよし 盲信者の名づけしものか この者は捕縛に洩れたり)

崔時享の弟子に徐章玉と云ふものあり 学力才知 衆に冠たり 而して 徐章玉の弟子に、全琫準、金海南、孫化中等あり 此等の弟子には徐章玉の学力 方術 共に崔時享の右に出づると称し 終に南接を唱ふるに至れり 之を以て崔時享の弟子は師に勧めて北接と唱ふるに至らしめたり 之を以て東学党には 南接 北接 の称あり 南接は忠清道の西部及び全羅道の全部を統括し 北接は忠清道の東北部 及び其以東北を統括せるもの丶如し

東学党の教義  

東学道は一種の宗教にして 宗教に要する諸性能は皆完備せるもの丶如し 然ども其良否に至つては 確固たる断定を下す能はざるなり 其教義に至ては 拝天主義にして其経文は 多く 周易、礼記、春秋、大学、論語、毛詩等の古文より抜粋せしもの丶如し 又た因果の理法を説くには主として 動静の理を以てし 造化の霊妙は皆天に帰す 其呪文中左の如きものあり

侍 天 主 造 化 定 永 世 不 忘  万 事 至

之を無窮に唱する時は降神すと 其降神の時に至れば 又

至 以 今 之 願 為 大 降

と 是等は北接の唱ふる処にして 南接は

奉 事 上 帝 造 化 定 無 窮 無 窮 万 事 至

其他 北接と南接と大差なきもの丶如し 此の如くなるを以て 東学道は敢て革命的宗教を云ふにあらず 然ども未開の人民には能く宗教に心酔し易きを以て 人心は斯道に傾けり
朝鮮国に在て 儒道は其形跡を留むるのみにして実効なく 仏法も同様にして 高山岩窟等に寺院を設けありて 人民を教化する事等は何れの地に於ても見る処なし
 東学党の騒乱

東学党は前記の如く 宗教上より大に勢力を得て 官吏の黜陟(ちっちょく)及び其政度等を左右する処となり 道主の命令なき以上は新任の県監等も其人民を支配すること能はざる境界に至りたるは 官吏其職務を尽さず収斂のみ是れ務め 人民の疾苦に顧念せず 己れの利福のみを是れ張るに依る 人民は官吏を敵視し官吏を盗賊の如く思惟し 従て 上は大君主陛下の鴻恩を忘れ 下は己れの職業を顧みず 今日の安を偸んで明日あるの謀を思はず 只に天主の我れを助くると云ふ事を妄信するに至れり 然るに扇動者は其呪文中 侍天主造化定と云ふ韻音助我鄭に相通ずるとなし 即ち鄭氏は我等を助くると云ふに在りと説けり
(※ 尾上注 造化定、助我鄭の韓音はそれぞれjo_hwa_jeong、jo_a_jeongである)
茲に至りて 宗教変じて騒乱の源由となり 又多少侠骨ありて 人民を塗炭より救んと欲する義者は即ち巨魁となりて王座に抗するに至れり 全琫準孫化忠の如き是なり 之れに依て是れを見れば 東学党は貪官汚吏の為め興らんとする民乱に利用されたるものと断定するを得るなり

 巨魁の不一致

各地方には各々巨魁と称するものありて配下を統率すと雖ども 巨魁を統率する大巨魁あるなし 崔時享は東学道より云ふ時は即ち大巨魁なり 然ども 騒乱よりすれば大巨魁と云ふを得ず 何となれば 忠清道の西部及び全羅道は 敢て崔時享の指揮を受けたるものなければなり(此地方は全琫準、全南海、孫化中、宋文秀等の配下なり) 而して 各巨魁は各自の意見に依り 各地方において起包(起包は彼等の党類を集むるを云ふ)し 己れの意思を決行せんと欲せしものの如し 此故に巨魁中にも悪逆無道にして各地を暴行せしものあり 珍山県居住の陳其瑞(捕縛するを得ず)の如きは最も暴行せしものなり 之が為め 錦山、竜潭の如きは 概ね烏有に帰したり 沃川地方に於ては 吾一相(捕縛するを得ず)の起包にして最も暴行せり 此の如く或る地方に於て鎮定の首領者人なれば 其地方は惨害を蒙ること 甚だ少し
騒乱中 旧六月以前には一般に気脈相通じたるが如く推知することを得 是れ処々戦場に於て分捕せし書類中 巨魁と巨魁と交通せしものあるに因りてなり 而して皆六月以前に係るものなり 以後の騒乱に関して一も交通せし証跡を得る能はざりき
 東学党の再興

東学党は昨年旧六月の末に一先鎮定に帰し 然る後また再興して 後備歩兵独立大隊等 其鎮定のため派遣せらる丶に至る 何に依て一端鎮定したる東徒又再興し、前興の東徒は今起の東徒に異なるや否やを探知するに 彼等は全く貪官汚吏の為めに興りたるものなるが故に 前興の東学党騒乱は 韓兵の失敗したるにも関はらず 一先ず鎮定せり 是れ政府の改革行はれ地方政事の能く行はるるを見込み 且大院君も政府に出頭し 閔族已に仆る丶を以てなり 然るに其後確信行はれず 且つ日本兵は京城に入りたるを好時期とし 失敗せし閔族は種々の飛語を作り東徒を先導したるものなるや明らかなり
 19850525  明治28年
5月25日
 松山兵営の予備後備兵は来る廿八日を以て復員令により解隊を命ずる旨昨日第五師団より党連隊へ通知ありたり
 19850530 明治28年
5月30日 
 ●後備第十連隊の解隊
去日解隊式を行ひたる後備第十連隊は昨日其止宿所より直に解隊の筈なりしが 凱旋歓迎会員より是非見送りたしとの希望あり厚意黙し難しとて午前八時より松山城内錬兵場に整列したり 見送者は武内書記官、鴨川補充大隊長、(以下略)


2008年3月18日
海南新聞
1895(明治28)年
5月19日
老馬新聞