2008年3月18日
海南新聞
1895(明治28)年
4月25日(5261号)
老馬新聞

1895(明治28)年4月25日
●漢城通信(四月十一日発)

乱後の救済法

東徒の乱一び起こりてより 官賊交々(こもごも) 肆行劫掠を極め 過ぐる所 鶏犬一空土肥脊(せき)となく 凍餒(とうない)相依り 業を廃し手を束ねて斃(たお)る丶を俟(ま)つにあらずむば 流離散亡 之(ゆ)く所を知らざるもの 所在 之れあり 極悽極惨看て以て状態と做(な)すべからざる也 悽救済の要 是に於て乎起る 而して其の救済法は曩(さき)に当局者と顧問官との間に協議決定を経 乃ち三南地方及び江原平安二道の残黎に対し 被害の度合いに因て 一々多少の金員を撒布すると同時に 地租免除等の恩典あるべき筈なり 此くの如くして 聊(いささ)かにても 彼の蠢々(しゅんしゅん)たるもの丶 疾苦を慰め新政を便とし徳とする念を生ぜしむるは此際政略の上へにも亦な甚だ必要なり 然ども左手之を与へて右手之を奪はば 何の甲斐なし 故に余は分配法の宜きを得るを望む共に 厳に賊吏の奸を制せんことは企望して已まず 因(ちなみ)に記す 救済額は今より予め決定し置く訳には行かざれども 大凡そ 二十万円を出でざるばしと云へり

匪魁全琫準

渠(かれ)が罪案 決定するに至るも方(まさ)に二三日を出でず 幾分か国事犯の性質あり云うを以て 幾分か気肝の愛すべきものありと云ふを以て 多分(いくぶん)死刑を免るる事となるべし 果して然らば亦 是新政の一進歩也