2008年3月18日
海南新聞
1895(明治28)年
3月15日
老馬新聞

1895(明治28)年3月15日

●京城新音(3月8日発)
▲東徒勦滅(そうめつ)に就ての詔勅
東徒征討尽力したる我邦兵士は全く之を勦滅して目出度く凱旋したるに付 太君主陛下は左の詔勅を賜はりたり

此次日本国兵士の凱旋 朕甚だ之を喜悦す 軍務衙門(がいもん)に勅して犒(ねぎら)はしめ 以て 朕が眷々の意を示す

▲日本将校の参内
東学党を平定して凱旋せし後備十八、十九の両大隊将校は此程参内し 井上公使の先導にて謁見の栄をはれ且つ種々の饗応を忝(かたじけの)うせり と云ふ

▲韓廷の慰問勅使
大(ママ)君主陛下の御思召を以て今度我軍隊慰問として使臣を派遣せらる丶都合なるが 正使には軍務大臣趙義測氏 副使には農商務大臣厳世永氏等 孰れも此程仰せ付けられ近々出発の都合なりと云ふ

▲東徒目撃談
東学党征討の為め 越年風に櫛(くしけず)り雨に沐(もく)して 兼ねて又 氷雪の苦を凌(しの)ぎ 爰(ここ)に其全功を奏して帰来せし某軍人の実地目撃談を聞くに 東徒猖獗(しょうけつ)を逞(たくまし)ふせし忠清全羅辺の地方は 到る処 干戈の禍に罹(かか)り 田圃は荒蕪の野となり 家宅は砲火にて焼く所となり 帰るに家なく 居るに地なく 衣なく食なきの窮民 挙げて数ふべからず 実に一目酸鼻に堪へざるものあり 此一端にして 交通の途絶 商業の不振等 言(いう)に忍びざるものあり 嗚呼黔首(けんしゅ)何の罪かある 今にして親しく疾苦を訪ひ 放急の術を講ずるなくんば 改革の恩沢何等の効あらん 云々