2008年7月8日
海南新聞
1895(明治28)年
3月10日
老馬新聞

1895(明治28)年3月10日

雑報 
●東学党大巨魁と其口供(二月十九日 朝鮮京城発)

△△△新聞所載)東学党の大巨魁 全緑斗(琫準△△△に亦明叔と云ふ) 崔時享(法軒)らが朝鮮にて上下老若の別なく知られ居ることは 老西郷 西南暴動の巨魁として上下老若の間にあまねく知られ居ると毫も異なるなし 左れば昨日全緑斗が不思議にも(韓人より思へば)生擒せられて 我公使館迄護送せられ 遂に領事館に交付△(せ?)られたるを聞くや 満城 相伝へて騒ぎ立ち珍しき偉人物を見物せんと陸続出掛くるもの 一△(時?)は日本領事館門前に黒山を築きぬ 全緑斗は△部の銃創未だ癒えざる上に 余病発して危篤△△△に陥り居るの故を以て 内田領事は直に京城守備隊の大野一等軍医に治療を請ひたるが 生命には別条無かるべし 左れども直に之を朝鮮人の手に引渡すときには 無論十分の手当てを与へざる可ければ 危険なるの恐れあり 当分領事館内に留置して救療し 一通り健康を回復せしめて引渡すことにせられ 昨日来 同人を臥さしめたる儘にて取調べを始めぬ 法務大臣徐光範氏は大に東学巨魁の就縛を喜び 日本軍隊の功労を謝し来たりたりし、左は
東学党征討軍独立十九大隊司令官南少佐が 捕獲の当時に全緑斗を取調べられたる口供書なり すこぶる東学党の真相を窺い知るに足るものあり

問 其方は姓名を何と云ふや
答 姓名は全琫準 歳は四十 全羅道古阜に住す

問 何月何日何処に於て捕はれたるや
答 十二月二十八日(韓暦)淳昌避老里に於て民兵の為めに

問 其方等 土民を扇動し乱を図りし理由を詳細に申し立てよ
答 余等 田舎に生長し世事に疎くして 日本府のわが国に対する政略方針を知悉せず 本年六月以降 日本兵陸続我国に来る 是必ず我国を併呑せんとするならんと 昔時壬申の禍乱を思い出し 国家滅亡すれば生民何ぞ一日も安んずるを得んや と人民疑懼の念を生じ 余を推して首領となし 国家と滅亡を共にせん決心を以て 此挙を図りしなり

問 抑々我国、兵を朝鮮に出だしたるは隣国の交誼を重んじ 朝鮮を清国の覇絆の下より救ひて独立国たらしめんとせしものにして 実に大義の軍なり 之をしも思はず 敢て抗敵の軍を起こす 別に深き故あるなき乎
答 余等乱を図りしは 亦深き理由なきに非ず 即ち閔族勢ひに乗じて官を売り職を売り 下に苛税を徴し 民の膏血を絞り 之を悉く清国に致して歓心を得るの料となす 斯る奸賊去らざる可らず 且は全羅監司 苛税を布き民を虐ぐるに依り 之に堪ふる能はず 依て監司を除かんと図りたるのみ

問 其方等は 古阜県監の苛政を憤り兵を起せしものにてはなきや 且兵を起すには他に使嗾者あらんと思考す如何
答 兵を起こせしは他人に煽動せられたるに非ず 使嗾されたるに非ず 只一個の考へを以て此挙を計りしなり、大院君の令旨云々は決して此の如き事件に関係したるものに非ず 我今再び政府に出でたるに依り 皆安堵して其業を励めよとの令旨なりし 余等は古阜及長興の県監を憤り 昨年四月金州に至り弊政二十七ヶ条を指摘し 人民蜂起し余を推し首領となし 余は已むを得ずして起てり

問 日本政府義兵に出でたる理由は其方等今日迄知らずや
答 今日始めて之を聞く 我初めより日本義兵を出だし我国を助くるの情誼を知らば 全羅道人民を説諭し共に日本の味方たる可かりしに 却つて日本軍に抗せしは実に遺憾なり

問 我本国は何処迄も朝鮮国をして一の独立国たらしめん方針なり 其方ら思ふに独立国善き乎 属国善き乎
答 属国の不可にして独立国の可なるは 我固より之を知る 然るに政府の佞奸なる輩 来たりて 人民に向かひ 仮令日本我国をして一時は独立国たらしむるを得るも之を永遠に保続する能はず 早晩清国の為めに覆へさるるは明らかなリ 故に今より大国に従ふを利なり との不霊を出だせしものあり 故に人民此言に惑ひ 遂に斯る有様に立到れり

問 如何に考ふるも 汝等の暴挙は 蓋し汝等の一存に非ず 其方らを使嗾せし者あるに相違なし 現に金介男(不良党一万の首領にして東学党の別働軍長たりし者)全州において殺さるるとき 自分は殺さるる謂はれなし 我を使ふ者の罪なり と云ひしとあり 之に依つて見るも必ず使嗾者あらん
答 張喜用なるものは暴悪なる接主にして 南原府使及武南営の宋司馬を殺したり 余恩津に在るの日 余と金介男を誘ひ清州に行かんことを勧む 余其時は之に従はざりしが 金介男は連れられて清州に至り敵と交戦し 張喜用は弾丸に当りて死したり 畢竟金介男は張喜用の為めに賊名を蒙り事を誤られたるに依り 常に之を遺憾と思ひ居たる為め 殺さるる時此言をなせし所以ならん

問 張喜用は一の接主にして問ふに足らず 必ず其方等の上に立つて使嗾せるものあらん、申立の如何に依り 大に罪の軽重に関す 依て有の儘申立てよ
答 我上に立て我等を使嗾せし者決してなし 然るに只昨年十月と十一月との間に於て 閔族より李枢使 召募使の職を帯び来たり 我等に話すに 政府に奸者ある為め政(まつりごと)修まらず 故に一日も早く之を除かざる可らずと 余元来兵を起こしたるは 京城に至り政府の奸賊を除かん為なれば何ぞ彼等の言を待たんや 然るに我等の上京に先立ち 日本兵多く京城に入込める為め其意を果たさざりき
当時召募使(閔党より出で居れり)の話に 仮令閔族政府より退けられ流浪四散するもひとたび令旨を発せば如何なる事をもなし難からず と云へり

問 閔族より来る召募使なれば 其方之に対する感情如何なりしや
答 何の感情もなかりし

問 其方元来閔族を斃(たお)さんとして義兵を起こしたりと称す 而して閔族より来たりし召募使に対して何の感情もなかりしとは如何
答 前言甚だ誤れり 我其当時閔族より来たりし者なりしや否やを詳らかにせず 然るに其れより三日目に政府(無論新政府なりと知るべし)より地方に出で居る召募使を捕縛すべき旨の令下れり 此(ここ)に於て始めて閔族より出でしものと覚れり

問 閔族は已に政府より退けらる 之れを知れりや
答 仄かに之れを聞知せり

問 大院君は如何なる人なるや
答 大院君は長く政を行ひ 威権甚だ盛んなりしも 当時は老耄して政を執るの気力なく 元来我国の政を誤りたるも皆大院君の為めなれば人民之に服せず

問 士民は大院君を戴きて之に服せり 又大院君も士民の我に服し居るを自信せり 故に士民に告示を伝へたる所以に非ずや 然るを士民大院君に服さずとは如何
答 士民は何事なりとも大院君に服せずと云ふ意に非ず 我国従来より為し来りたる両班常人の制を廃止たるには服従せずと云ふ意なり

ーー以下、コピーした場所が狭すぎて読めないところがおおい 後ほど確認するーーー
問 其方らが挙△△△△△△せよ
答 元来我等が△△△政を釐革(りかく)せん△△△京に先だち倒れ△△△して其後七月△△△王宮を囲みた△△△て之を打払は△△△終局の目的は△△△郤(しりぞ)け弊政を改△△△田制山林制を△△△厳に処分せん△△△

問 李氏五百年△△△
答 皆此予言を△△△を知らず 亦此△△△王を廃して亦△△△