2008年3月18日
海南新聞
1895(明治28)年
1月30日
老馬新聞


1895(明治28)年1月30日

東学党(大本営掲示号外)
一月廿五日午後六時十分仁川発仝仝仝八時廿分釜山発仝廿八日午前零時二十分着の電報に曰く

第十九大隊長より東党二三千海南地方より珍島済州島に在りとの報告ありたり此報告は去る十九日羅州より発したるものなり今日迄には釜山より派遣の中隊と連絡し全羅西南部の東党を撃攘したるならんと信ず済州島ことは筑波艦及び操江号艦長に通報のことを伊津野少佐に通報し置きたり
                                      仁川 今橋兵站司令官
川上兵站総監


1895(明治28)年2月1日
●広島特報
一月三十日初 真鍋俊雄報
東徒迎撃(大本営掲示号外)
一月廿九日午前十一時十五分仁川発 仝十一時五十五分釜山発 仝午後一時三十五分着の電報に曰く
去る十九日発福富大尉の筆記報告に依れば 十三日可興より派遣したる偵察隊は 十七日長湖院(利川南南東)と陰城(清州北北東)との間に於て第十八大隊石森中隊の枝隊と会す 
賊数百来襲すると以て 共に協力して之を迎撃し賊数十名を殪(たお)す 我兵一名負傷 賊は四方に潰散せり
                 仁川 今橋兵站司令官
川上兵站総監

一月廿八日午後四時三十二分仁川発 仝五時五分釜山発 仝八時四十分着の電報に曰く
釜山伊津野少佐より只今左の通報に接せり

釜山より派遣したる鈴木大尉が去る十日波清駅に於て韓人より聞きし所に拠れば 去る八日日本軍及京城韓兵の一部は長興付近にて東徒を劇はし賊の死屍山を為せりと

長興(康津東)へ差遣したる斥候及クスノノ(楠野か)少尉の書簡に拠れば 
第十九大隊の第一第二中隊の枝隊及第十八大隊白木中尉の率いる教導中隊は連合して三面より南方に進み第二中隊は十五日綾州(※NungJu 和順南)を発し 康津海南の残賊を攻撃せんとす 教導中隊は竹山(木浦東)付近にて東徒四百名を撃破せり 京城の漢兵八百名、順天、楽安、宝城を経て綾州に向へりと
                 仁川 今橋兵站司令官
川上兵站総監