2008年月日 |
海南新聞 1909(明治42)年 月日〜日 |
1909(明治42)年3月20日
「韓人と云へば一般に劣等な人間の様に思ふ人が多いやふだが、之れ大なる間違である。日韓人は其の容貌体格に於て殆ど寸分の差異無きが如く 其の精神、其能力に於ても韓国人は殆んど日本人に近く 決して劣等なるものではない 現に韓国留学生が東京の各学校に入つて居るのを見ても其の成績は頗る見るべきものがある、韓国人は教育さい施せばりっぱな国民となるべき資格が充分だ。就中韓国上流の人士にして散髪を為し、洋服を着、日本語は素より英仏等の外国語を操る朝鮮人に至つては何ふしても日本人と区別することが出来ない、現に京城に於ける宴会等に於て日本人数十名混交せる際、試みに韓国通の外国人をして其の日韓人の数を識別せしむるに一回として当つたことはない、外国人のみならず、日韓人自身と雖も容易に其の正数を区別することは出来ない。▲話頭は一転して伊予国の歴史談に入りぬ 古谷氏は最も熱誠を込めて曰く。・・・