2007年8月2日
海南新聞
1909(明治42)年
3月16日

1909(明治42)年3月16日
尾道電報
伊藤統監一行十二日午後発
統監伊藤公爵には予記の如く十四日尾ノ道発淀艦にて愛媛県に向ひ仝日午後四時半三津浜上陸決す但し本日大雨なれば出発一日延期すべし

●直に道後へ向ふ 仝上
一行は三津浜上陸後直ちに伊予鉄道にて道後へ向はる丶予定なり((就いては松山市内学校生徒は古町駅にて歓迎の筈))

●統監大三島行 仝上
公爵が大三島に行かる丶事は確かなれ共日取未定なり

●郡中、石手、太山寺 仝上
公爵は郡中、太山寺、等へも行かるべき意志あり但し確定には至らず

●一行滞在日数 仝上
公爵一行の道後滞在日数は少くも十日間以上なるべし

●山内司令官 仝上
山内鎮守府長官も仝行されんとの議ありしが見合わせとなりたり((前号付録再記))

雑  報
●着県前の統監
▲京都通過 伊藤統監は村田少将、古谷秘書官、小山技師等を随へ道後温泉行の途次十二日午前五時二十八分京都駅を通過せるが大森知事、西郷市長其他の迎送あり
▲大阪通過 伊藤統監は十二日後全力時廿分高崎大阪府知事、池上警察部長等の迎送を受けて大阪駅を通過す
▲舞子一泊 仝一行は仝日午後七時四十七分舞子駅着不破兵庫県事務官其の他地方官民の出迎を受け直に旅館万亀楼に入り朝餐後暫時睡覚めて雨中を冒して公園及び海浜の散策をとり午後水上神戸市長及び神田兵右衛門氏等の訪問を受け同旅館に一泊せり
▲尾道着発 一行は十三日午前十時二分舞子発にて尾の道に向ひ同地一泊の上十四日午後一時尾の道を発し小燕汽船保安丸にて糸崎に出で軍艦淀に移乗したり

●伊藤統監の来着
▲統監安着
 予て報道したるが如く韓国統監公爵伊藤博文氏には愈々十四日午後一時三十分通報艦淀号にて糸崎港を出発せられ海上無事仝日午後五時十分三津浜沖に安着せられらたれば三津浜埠頭へ出迎へたる安藤知事以下左記の人々は第一愛媛丸に乗り込みて軍艦まで出迎へたり
(尾上ー以下略記す)知事、事務官、連隊長代理、工師長、温泉郡長、伊予郡長、松山郵便局長、柿原典獄、赤十字社幹事、兵事主任、三津浜町長、塩崎予備少尉、三津警察署長、三津局長、衛生課警部、古谷綱紀(久綱氏親父、海南主筆等

 当日は晴天なりしかども折柄の強風にて愛媛丸は波濤の中を辛ふじて淀の舷門に接するや統監には村田少将、古谷秘書官、小山技師、以下属僚及尾の道迄迎へたる脇田事務官等を従へて悠然愛媛丸に移乗あり軍艦よりは十九発の礼砲を以て之を送り統監は挙手して之に答へつ丶得費絵馬は徐々防波堤内に入り魚市場前の仮桟橋に着したり
▲埠頭の出迎 伊藤公を乗せたる第一愛媛丸の仮桟橋に着するや岡村密警察署長先駆となり続いて安藤知事の案内に依つて統監はいと機嫌克く上陸され仝所へ出迎へたる安藤知事夫人、黒田警視、森税務署長、粒良松山病院長、西原裁判所判事、大政県参事官員、其他県会議員、温泉郡参事会員、郡会議員、三津町会議員並に三津浜町官民有志消防夫等数千名の歓迎を受けられ、直ちに県庁より差廻し有りし貴賓車(三人挽)に乗じ栄町より藤井町住吉町を経て三津駅に向ひたり
▲三津の歓迎 三津浜に於ては統監の来港を歓迎せんが為め埠頭場の提上には各船繋杭に国旗を立て波止の頭端には三津音楽隊の奏楽あり仝町魚市株式会社を歓迎員の休憩に充て全町各戸は国旗を立て丶敬意を表し公の通行筋なる栄町より住吉町へ至る間の左側は三津浜高等尋常小学校、仝尋常小学校、古三津、新浜の各小学校生徒を以て充たされ右側は一般歓迎者の為に通行自由ならざるの光景なりし、三津停車場に於ては一、三等待合室を打通して幔幕を張り椅子茶菓の用意等公の休憩場に充てたるも公は直様待ち構えたる特別列車に乗り込み午後五時三十分三津駅を発車せり
▲三津駅の出迎 仝所に於ては長井松山市長、三上仝助役、市参事会員、市会議員一同、並に篠原道後町長、清水仝助役、仝町会議員四名、井上伊予鉄社長、仝社各課長、古三津村役場吏員等歓迎ありたり
▲古町駅の歓迎 古町駅の出迎者は師範学校生徒及び当市各学校長教員等にして特別列車は機関車続替の為五分間停車の上午後五時五十分道後線へ発車せり
▲道後の光景 斯くて列車は古町駅より道後に向ひ仝六時五分着駅しそれより統監には腕車にて一行及安藤知事、西久保、竹井、脇田の三事務官、山内中佐及び其他歓迎員数十名を従へて鮒屋旅館に入りたり而して仝町に於ける歓迎は予定の如く小学校生徒は停車場前より湯ノ町両側に整列し在郷軍人並に地方有志者仝駅プラットホームに出迎へをなしたり 殊に仝町にては統監歓迎の意を表せんが為め停車場前即ち湯之町入口に高さ三間の大緑門を造り黒大豆の中に白大豆にて抜きだし其周囲蜜柑にて囲ひたる「伊藤公爵歓迎門」の扁額を掲げ又仝停車場にはプラットホームの北側に幔幕を張り伊予鉄の紋章を染出だしたる旗を吊るす等総て歓迎の準備至らざるなかりき
▲温泉入浴 公には鮒屋旅館に少憩の後晩餐を喫せず又た随行者をも伴はず単独にて七時頃温泉霊の湯に入浴したり尚ほ村田少将、古谷秘書官等も続いで入浴したり(以上は号外再記)

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