2007年8月2日
海南新聞
1909(明治42)年
3月16日

1909(明治42)年3月16日
雑報
●統監来県彙報
▲伊藤統監 来県の事は十五日号外(郡部は十六日第五面再記)記載の如くなるが統監には来着後もいと機嫌よく温泉の入り心地は固より道後付近の風光大いに公の気に入りたるもの丶如く殊に松山、三津、道後其他記郡各町村民の真情篤き歓迎に満足なるがごとし
十四日の夜 既報の如く公には十四日夕鮒屋に安着するや未だ夕飯も済まざるに飄然外出して温泉霊の湯に入浴したるが湯より帰りたる統監は殊の外機嫌克く安藤知事、村田少将の二人を左右に招きて共に快く晩餐を喫し其の間に四方山の談話をありたる由なり
十五日の午前 伊藤公は近来多少健康をも害し居れども十五日には午前八時と云ふに早くも起き出で丶手水を使ひ今朝は温泉に入浴無くして軽く朝餉を取り折柄来訪せる安藤知事其他を呼びて雑談に余念無きもの丶如かりき
▲午後の散歩 統監には十五日午後安藤知事、村田少将、古谷秘書官等を随へて冠山((湯神社))及び道後公園付近を散歩せるが当日は天気晴朗にして春風肌に快き気候なれば統監には遥に勝山城及び伊予の小富士の勝景を眺め愛媛の風光の美を賞したり
今後の予定 大坂の新聞紙は統監の道後滞在期を約一ヶ月に渉るべしと報道し居れども右は未だ確定したることにあらずして統監は只保養を専一をせらる丶なれば気の向ふが儘に此処当分悠々自適の日を送るべしと聞く乍斯其の中稍々纏まりたる話は
歓迎会出席(十六日)運動会臨場(仝日)太山寺行遊((未定))城山巡視((確定))県庁行((未定))郡中行遊((確定))
大三島行((確定一泊))三津の魚釣((未定))
等にして其の中最も大三島を眼目とせるが如し又其の間には統監自身の発企にて幾名かの知人を招きて一夕の夜遊もあるやに噂さらる
統監の平民主義 伊藤統監は外出の際も極めて洒々落々たる平民的態度を執り護衛の警官等は可成く之を避け公園散歩の際にも殊更に警備を謝絶したり又温泉入浴に就ても篠原町長が次官を定めて其間一般入浴者を謝絶せんとするや統監は之を聞きて
ハ丶丶丶混浴でも結構々々
など丶戯れたる由
統監の元気 統監には韓帝南北巡幸に扈従し身体稍や疲労されたる結果内地に帰りたるも重大事件簇生して甚だしく頭脳を痛め簿書堆裡にありて日夜疲労したるより静養のみの目的を以て今回道後に来られたる次第にて十五日朝も少しく下剤を用ひられたるが午後の散歩に出でられたる位なれば其の元気推して知るべし
▲統監と淀号 通報艦(無線の発達していなかったころ植民地情報などを本国に通報する任務に当たった艦船)淀号は伊藤統監と最も親しき関係あり仝艦は神戸にて進水したる新式艦にて全速力二十二浬を出だし燃料は石油にても使用し得べく其他艦内の設備頗る斬新を極めたれば始めて呉鎮守府に廻航したる時恰も統監には宮島参詣の際にて山内司令官の招待により淀号に試乗したることあり今回も其れ等の関係にて山内司令官より特に統監の乗用に充て廻航したるなりと
▲三島大山祇宮司 大山祇神社宮司三島敦雄氏は知事の招電により十六日来松道後なる統監旅館に赴き古谷秘書官等と共に統監の仝社参拝に付打合を為して帰社する筈なりと
▲需要物産贈呈 統監来県に付県下の重要物産中趣味ある物を選定して之を贈らんとて十五日迄に左の如く県庁まで送り越し来りたりと
鯣二十枚、西宇和郡丸一組二六焼花瓶一個宇摩郡佐々木六太郎五色封筒神一束及天具帖一束宇摩郡伊予紙同業組合羽二重一反喜多郡河野駒次郎淡黄磁花瓶大小二個及仝徳利一対伊予郡向井和平淡黄磁煎茶器一揃及水差一個工藤市太郎
園遊会の設備と順序 松山市主催となり伊予、温泉郡官民合同にて統監歓迎園遊会を十六日午後二時より道後公園に於て開催為すことは再三既報の如くなるが十四日迄の出席申込者は五百五十名に達せるも尚造花の模様なりと就いて同地風詠舘付近は広く幔幕を引廻して会場に充て緑門を新設して歓迎の二字を記せる扁額を掲げる等十五日以来準備委員多忙を極め居れり而してその順序は左の如し
一、二時会員参集
二、二時三十分統監の臨席を請ふ
三、四時余興能狂言開始((振鈴))
四、三時三十分会員宴会場へ((振鈴))
五、同時来賓宴会場へ臨場
六、松山市長歓迎文朗読
七、開宴