2007年8月2日
海南新聞
1909(明治42)年
3月14日

1909(明治42)年3月14?日
雑報
●統監来県彙報

▲遺憾なき旅館の準備 道後湯之町鮒屋旅館にては公来遊のこと確定するや不取敢全力を注いで準備に着手したるを以て最早今日にては些の欠ぐる処なく整頓したり今公の居間と定められたる同旅館の一二号両室の概略の模様を摘記せんに先づ見付には有栖川殿下の筆になれる扁額を掲げ床には狩野探楽筆三副対の山水画軸物を掛け花瓶は壷形の七宝焼を用ひたり其西側に接せる二畳の間には狩野探幽筆山水小六屏風を置き茶器はすべて銀造りのものと玉造りのものとを用ひ又此れに隣れる十五畳の間には前記探幽の揮毫に係る山水画の屏風一叟を廻らせるが何れも古雅掬すべき古今の絶品とも称へられたる品々なれば公も定めて満悦の事なるべし以上の外新に五百円を投じて人造石にて造りたる洗面台二個を購入し一は本舘奥二階の下に一は本舘東棟南棟に置かれたり
▲飲料水 公の飲料水に付いては此程より彼れにせんか此れにせんかと評議区々たりしも結局其筋の検査を仰ぎて選定すること丶なり十一日午前道後分署に於て同町に於ても平素より優秀なりと評のある数十ヶ処の水を集めて験せし処同町野本程五郎氏方および温泉玉の湯内にある井戸より湧出するものが最も佳良なりと認められ之れを公の飲料水に充つることに決せり
▲特別列車 伊予鉄道会社にては特に公の滞在中は特別列車一台を道後駅に備へ置き何時にても用を便ぜしむる計画なるが十四日には特別列車と一等列車を連結なし公の上陸地へ臨時増発なす由尚ほ十六日は正午より十七日は午前中より道後線に限り臨時列車増発の筈
▲道路修繕 公の石手寺参詣は未だ確定し居らざるも若し賽することのありもやせんと慮り
湯之町役場にては数名の人夫を出して一両日前より道後より石手寺に通ずる道路の修繕中なりしが十三日を以て全く工を了へたり
▲知事の準備視察 以上列記せし以外此程より引続き準備中なりし旅館並に玉の湯等の諸般の準備は漸く十二日を以て完成したれば同日午後四時より本県知事安藤謙介氏は黒田松山警察署長と共に一応準備視察をなしたり
▲郡中の楽焼花瓶 郡中湊町槙鹿蔵氏は楽焼に特得の技量を有せるが今度公爵に贈呈すべく花瓶の製造中なり形は頗る古雅にして雷死久氏瓶面に句を題して曰く『杣人の大斧を振る野分かな』と
▲統監の上陸地 に就ては三津浜と云ひ或は高浜と称ふれど実際は脇田警部長尾の道に出迎へたる後にあらざれば確定せずされど高浜は潮流急激にして軍艦より桟橋までの困難多きを以て海軍側にても三津浜を望み居り知事も三津説を持ち居れる有様なれば
多分三津浜となるべしと
▲学校生徒の歓迎 松山市内挌県立男女中等学校及び小学校職員生徒は統監来松の際松山停車場よち通過する道路に整列し現代偉人の風貌に接することとなちたるが統監は松山駅より腕車(尾上注:人力車)にて道後に赴く筈なるを以て
仝駅より一万町に至る間は生徒を以て満たさるべしと
▲県庁の歓迎委員 県庁にては十三日午前十一時より約一時間各課長其他相集り統監歓迎及滞在中に於ける諸般の用務を弁ずる為め委員を設けたり歓迎係、歓迎会係、旅館係、案内係等ある筈

▲第二次歓迎会 統監の滞在長きに歩る時は来る十六日の歓迎会のみにては物足らぬ心地せらる丶と以て官民有志合同にて第二次歓迎会を開き親しく統監の談話を聴かんと寄り寄り相談中なりと
▲松山市の贈呈品 松山市より国産伊予絣、麻裏を贈呈する事に確定せりと
▲松山市の歓迎準備委員 市参事会員、市会議員全部挙つて準備委員たる事は左記の如くなるが市吏員側としての準備委員は鴨川正幸、内藤丈太郎、岡本挌○、西山正史、山本万三郎、重松忍、大野義温、村上久米吉、近藤治三郎、日野国治の諸氏に嘱託せし由

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