海南新聞韓国関係記事
2009年1月25日 日曜日
1894(明治27)年8月13日

●恤兵方法の協議会 日清事件に付き招集せられたる兵士の慰労及び其家族救恤方に付き下浮穴郡原町村にて去る九日有志協議会を開き左の通り決定したり 尚ほ戦死者の遺族扶助方、兵役終るの後送与すべき慰労金等は追て決定の筈なる由

一 先づ金百円を募集し今回本村より召集に応じたる予備後備十二人と出兵したる現役兵(凡そ四人)へ金三円宛(づつ)を慰労として贈与し 残金の内より金十円を在韓陸海軍一般恤兵部を経て献納し 其他は家族の救済の資に充つるものとす
一 各部落に於て 時々家族を慰問し 若し病に罹りたるものあるときは相当の手当をなし医治を受けしむること
一 出兵の為め農事上差支あるものは其部落に於て引受手伝をなすこと
一 義金募集予定高百円は各大字の負担額を定め毎組三人以下の取纏人(とりまとめにん)を選挙し来る廿日までに募集を終ること
一 兵士へ贈与する慰労金は義金募集以前繰替(くりかえ=立替)をなし可成速(なるべくすみやか)に送金の手続をなすこと
一 恤兵に係り協議決定したる事項は総て本村々長に依託し委員二名を選で之を補佐せしむること 但家族救助の方法は委員並に村長に一任すること
一 委員並に義金取纏人は評議会出席者に於て選挙すること

(*「恤」は「あわれむ」の意)

●松山市の出兵家族扶助法 昨日午後五時より開会せし筈なる松山市会議案中 彼の出兵家族扶助法の議論は左の如し

目下出師中に係る本市住民軍人の家族にして自ら生計を営むの余力なく 且つ他の扶助を受くること能はざる事実あるものは市議会に於て之を調査し左の定額により救与することを得べし
但し本規定の他は総て本市貧民救助規則を適用す

一 男女共一日精米四合 
但し七十年以上十三年以下は精米二合とす

前項の救与は後日 本人の望に依り返却することを得べし(以下略)

1894(明治27)年8月18日

●成妙村民の義挙 北宇和郡成妙村兵頭孝則、二宮市太郎両氏の発企にて 去る八日同地尋常小学校に村内有志の会合を催し 今度予備後備兵の召集に応じたる者への慰労方法及び其家族扶助方法等を協議し終て恤兵部へ献納金の勧誘をなしたるに即座に之を承諾し献納することになり成妙村一同より草鞋二千足、太宰爾策氏より金十円、毛利甚彦、毛利元彦両氏より各金五円、二宮鹿松氏より金三円、(中略)氏より各金二円、(中略)の諸氏より各金一円づつ義捐したり
●内子有志の義挙 (略)井戸掘を業とする得永重吉は(略)其業を捨て独力戸毎に就き梅干一合づつを集め之を恤兵部に義捐せんとて日夜奔走し居れり
●庄内村の義挙 桑村郡庄内村長芥川益太郎氏其他有志数名首唱者となり在韓兵士への物品の寄贈 及予備後備兵の召集に応じたる家族中家計の困難者に対する救恤方等の件に付 去る十五日有志者数十名会合し種々協議の末 在韓兵士に対しては草鞋二千足を寄贈することを決し直ちに恤兵部へ出願の手続に及びたり 又予備後備兵の家族の救護方法は差当り有志の義捐金を以て一時の急を救ふこととし 直ちに義捐に着手せしが 立(たちどこ)ろに数十金を得たるを以て 老幼婦女者の区別に従ひ玄米に換へ一ヶ月分づつを与ふることとしたり 又同村出身兵士身体安全の為め郷社にて祈祷をなし其守札を家族に贈り 又時々村民の代表者をして家族を慰問することに決せり
●献金品 松山湊町三丁目高市小鶴は梅干一挺、同通町八木昌計は金五円、神宮愛媛本部長汐見琢磨氏は金十円 何れも在韓の我軍隊へ寄贈の義 其筋へ出願せり
●松山市家賃の下落 陸軍軍人の家族にして当地を去り 又は都合によりて一時小家に引移るもの多きが為め 中等以上の貸家にして急に空家となるもの多く自然家賃の下落を気構ふとは決して推測のみにあらざるなし

●愍れな一家 西宇和郡神松名村大字釜木の野本磯治郎は過般後備の召集に応じて出発せしが 元来赤貧者で磯治郎の働で漸く其日を送り居りし事とて 忽ち女房ナツ及小児千太郎が糊口に窮せしも 今日迄は兎も角飢を凌ぎ居りしが この一両日前よりナツは間歇熱に罹りたれば今は愈々必死と差支へしに 近隣のものが厚意にて僅づかに露命を繋ぐ由を聞く 同地の藤田幸十郎 中原勘吾 若木政太郎の三氏は不便(ふびん)に思ひ 磯治郎が目出度凱旋する迄 活計の道を補助せんと其々義捐に尽力中なりと

1894(明治27)年8月21日

*「義挙」記事多数。一部を除き見出しのみ書き抜く。

●(*新居郡)金子村有志者の献金
●(*喜多郡)柳沢村の義挙
●(*伊予郡)郡中愛国同志会(設立)
●西条励兵義会
●道後有志の義挙
●浮予(*=下浮穴伊予郡)教育倶楽部の義挙
●(*喜多郡)藤縄村の義挙
●(*喜多郡)田所村の義挙
●(*野間郡)菊間村の義挙
●(*西宇和郡)町見村の義挙
●松山青年仏教会の献金
●応召兵家族への補助
新居郡金子村大字金子 神野九三は極貧の中に妻子を養育して其の日々日々をカツカツ暮し居たるに 過日後備兵召集の令に預りて国家の為め家を顧みるの遑(いとま)もなく出役したれば残されし家族の迷惑一方ならず 柱とも杖とも頼みし主人の去りし後は一同額を鳩(あつ)めて唯天命を待つの外なき姿なるにぞ 之を見聞せし同村の人々は気の毒に思ひ 国家の為め主人を取られて困難する家族捨て置くは国民の為すべき処にあらずとなし 協議の末区費を以て補助する事となりしかば 同家族の喜び一方ならず斯くも厚き人々の恵みを受くる以上は国の為死する甲斐ある事を悟りぬなど語りしと云ふ
●女学生の義挙(愛媛高等女学校)
●(*久米郡)川上村有志の義挙
●今治青年の義挙

1894(明治27)年8月22日

*上に同じ

●松山市の献金(*松山市西堀端町)
●(*喜多郡五十崎村)青年団体の義捐金募集
●義捐芝居 松山小唐人町二丁目新栄座にて興行の芝居は去る十九二十両日受元金藤喜十郎の思ひ立ちにて小屋持主、俳優、衣装小切方に至るまで無賃を諾し 二日間の興行揚り金を軍資金に献納することとなり 既に昨日其筋へ出願したり
●(*上浮穴郡弘形村)出師軍人家族救恤
●八幡浜有志の献金
●祈祷彙報(*各地での兵士の健康、武運長久、接戦全勝の為めの祈祷状況)
●(*桑村郡)徳田村の義挙
●(*風早郡)正岡村有志者の協議
●(*西宇和郡日土村)村長大に村民を励ます


1894(明治27)年8月31日

*上に同じ。この日から兵士のための義捐記事はこの見出しになった。

●神州魂(*しんしゅうこん)
▲祈祷 周布郡田野村県社綾延神社に於て過日二日三夜の間 日本帝国陸海軍兵士の武運長久の祈祷を為せり(等)
▲(*野間郡波止浜村)医師の義挙
▲松山婦人会の献品(*手拭四十反)
▲西宇和郡有志の献金
▲(*久米郡各村)出兵家族救助方法
▲(*西宇和郡)神松名兵事会の決議
▲(喜多郡喜山村)喜多山村民の義挙
▲松山有志の献金