海南新聞韓国関係記事
2009年1月26日 月曜日
1894(明治27)年08月02日付     7月23日の大島公使朝鮮王宮占領事件を報ず

京城特報 廿三日午後十一時発 今西恒太郎
大要は既に電報其他馬関特報等に拠りて報道する処ありしが 今又今西氏の特報に接したれば更に左の如く
▲我兵王城に進入す 大島公使より韓廷に申込みたる最後決答の猶予期限は二十二日夜半の鐘声とともに過ぎ去りたり 大島公使も最早遷廷すべきにあらず 二十三日早起 国王に謁見し親しく事情を具陳せんと 其準備を命ず 是れより先城中頗る不穏の報ありしかば 公使は万一の虞あらんことを察し 竜山の軍に通牒して警衛を託す 或は曰ふ 韓王の依頼により王城保護の為め△森陸軍少佐○(ママ)大隊を率て王城を囲み 橋本陸軍少佐○中隊を率て光化門(王城正門)より進入す 時に韓兵発砲して我兵の進入を妨ぐ 我兵之に応戦し十六分時間にして韓兵を斃すこと三十六人 清兵の韓装せるものを斃すこと六人 彼等の北(に)ぐるを追ふて難なく王宮に達す 時に午前五時四十五分なりき 因て予ての合図なる大砲二発を放てば 大島公使は我兵一百に前後を護衛せられて参内 事の始末を奏上し大院君は直ちに内閣組織に着手せり
▲我軍親軍統衛営を占領す 午後三時再び小戦争は開かれぬ 福田大尉、那珂大尉は韓王の為めに△(「一」か)中隊の兵を率い韓廷の近衛兵営とも云ふべき親軍統営に至り 穏かに武器を渡し引払ふべしと言ひ入れたるも彼れ頑として応ぜず 剰さへ発砲に及びたれば 我兵吶喊 門を破り秋風桐葉を吹くの勢にて彼等を追ひまくり 仝営は遂に我兵の衛る所となる 此時韓兵の死するもの数十人 我兵軽傷一人に過ぎず 余等同業者は前後従軍して韓兵の逃げ廻はる様を見るも気の毒なり
▲分取兵器 前後二回の闘に於て我兵が韓兵の兵器を分取りせしもの、大砲十五問、軍銃千五百挺、軍馬数十頭
右にて京城の事定る 倭城野陣に於て記す

●韓王 我が公館に移る 大院君合意の上朝鮮国王は王城を去て日本公使館に御移転遊ばされたり」と前(さき)には牙山の清兵に退去の勅を出し 且つ日本兵借入の御懇請あり 今又電化自から我公使館に御移転ありて難を避け玉ふ 電化の我国を倚依(たより)玉ふや 昭昭乎として明(あきらか)なり義侠に富む日東君子国豈(てい)に韓国の為め暴清を懲さざるを得んや
●朝鮮政府改革 大院君入て諸政を綜理するや 金宏集(*弘集か)氏外八名の開化党内閣を組織し魚允中氏恵堂に任ぜらると仝政府の改革着々歩を進めしものと云ふべし