海南新聞韓国関係記事
2009年1月27日 火曜日
1909(明治42)年4月10日付海南新聞

韓京たより
在京城 一 社 友 
▲韓皇陛下は曩きに西南の各地に巡幸あり、具に人民の疾苦を訪ひ、又た農業を奨励あらせられたるの結果として、今度親耕の古典を挙げさせらるる事となり五日に於て東門外なる先農壇に臨御、親しく鋤を執つて、国民勧農の模範とならせられしは、近来の御盛事と申すの外はない、又た本月下旬には、海路遠く北韓に向はせられ、深く地方を巡狩あるべしと伝ふ、上意下達下情上通の端、此より開かるるとすれば治を計り民を撫するの道に於て、蓋し夫れ庶幾(ちか)からん哉
▲漢城政界の暗流は、天地春来つて稍々一生面を開きたり、李完用は大韓協会を操縦して、己れの薬籠中の物となすべしとの説あると同時に一方には又宋秉o、太皇帝に拠って一進会の再挙を策するの説あり(略)
▲又李総理が大韓協会を提(ひつさ)げて、大に活躍せんとするとの説あるに際して、大韓協会長たる金嘉鎮が、野心満々たる近来の行動に就ては聊か注目の価なき能はざるものあり、(略)
▲東洋拓殖会社は三日を以て、景福宮内に披露の宴会を開き、日韓人士一千余名を招き、盛んなる園遊会を催ほし、本月末頃よりは愈々先づ金融部の貸付より駅屯土の引継ぎ、進んで移民の着手、漁業の施設等に及ぼす順序にて、着々歩武を進めつつあり。同社は華奢贅沢なる世の会社風に効(ならわ)ず、質素にして勤倹、寧ろ不言実行の主義を以て、将来の成績を挙げんとする検診なるもの丶如く目下創立日尚ほ浅く、多少の世間批判を免れざるも、個は是れ皮相の観察にして、会社満腹の精神のある所を知らず、徒(いたずら)に門外より臆想を逞(たくまし)ふするに過ぎざるものと見て可なり。(六日発)

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  雑報
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●出漁連合会副長選挙 本県宴会出漁団体連合会副会長村上紋四郎氏任期満了に付九日郵便投票を県庁内にて開票の結果十一点深見虎之助、四点村上紋四郎なりしかば深見氏当選せりと