忘暮楼の自己紹介

  こんにちは。忘暮楼(ぼうぼろう)と申します。午どし生まれのAB型。

  1942年大阪府中河内郡天美村大字堀47番地で生まれる。
  4歳のとき愛媛県南部にある三瓶町に移りそこで育ちました。魚と蜜柑と美味しい町で、母方のいとこがいます。

  中学も高校も三瓶です。

  大学は、故・東京教育大学です。もう知っている人も少なくなりましたね。こじんまりとしたいい学校でした。

桐の葉は 木に朽ちぬより 秋来なば 先駈け 散らん 
名のみなる 廃墟を捨てて 覚めて立て おのこぞ 我ら
(宣揚歌)

  この歌は小生の人生に案外影響を与えているような気がします。

  1968年から松山市にある新田高校に就職しまして日本語を教えてきました。

  1984年42歳のとき韓国語の勉強を始め、韓国とのつきあいを続けています。その後は年に1回ないし2回のテンポで訪韓してきました。そのうち2回は自転車旅行でした。つらいことは、いまだに韓国語のhearingができないことです。

 現在、松山日本コリア協会(日朝協会松山支部)の役員をしています。これからやりたいことは大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国両国の人々とのお付き合いですかね。
 もう1つは、今手がけている「軍人墓」の調査を続けてなにかまとまったものを作ることです。なにしろ、今でないとできないことがたくさんありますね。今70歳以上のお年寄りがお元気なうちにいろんなことを聞いておかなければなりません。

 私のインターネットとのお付き合いは1997年から。このホームページは1999年3月15日に立ち上げました。

本年(2000年)6月5日、職場の帰り道、自転車に乗って、ゆきつけの居酒屋『品川』へ向かって走って居りましたが、お店の20メートルくらい手前の十字路で、クルマに nock down され、顔から墜落しました。(関係記事 その1その2)その時の傷隠しの口ひげをそのまま楽しんでいます(下の写真)。

(2000/3/19記)


2000年7月 79.6Kg

お互い、暴飲、暴食、運動不足に気をつけましょう。 


 2001年3月、妻の退職記念で沖縄を旅しました。この旅行で私はすっかり琉球文化に魅せられ、特に三線にしっかりはまってしまいました。その年の6月から松山にある沖縄料理の居酒屋『めんそーれ』とのお付き合いが始まりました。下手な三線を抱き、常連さんと泡盛の杯を交わし、気立てのいい女将さんの作ってくれる沖縄家庭料理に舌鼓を打つたびに、沖縄への思いがいよいよ深まります。いつのまにか、2003年3月の定年退職を機会に一年間沖縄で琉球方言を勉強するぞ、と決めていました。

 そんなわけで今、米軍の軍用機の爆音をものともせず(と、言いたいが、実際は相当こたえています)、沖縄県宜野湾市真栄原に宿を求め沖縄国際大学科目等履修生として学生生活を送っています。

 人に教えない生活は気楽です。毎日ぐっすり寝ています。あ、退職の挨拶状がほったらかしになってるなあ。

(2003/4/20追記)


 

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