丸山旧陸軍墓地(愛媛県松山市)

2000年5月撮影 写真をクリックしてください。大きくなります。


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 自転車で帰宅の途中、松山市南江戸町と北斎院町の境目のあたりの道を通る。たまたま気まぐれでいつもの道の西側の裏道を通った。先が細くなっていて自動車にとっては袋小路。私も初めて通る道だった。
 入ってみるとすぐ右側に階段がある。神社の階段のようだが手入れはできていない。なにやらうらぶれた感じがする。  


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 階段を上がってみると正面に「英魂」と彫りこんだ碑がある。階段の近くに「愛媛県戦没者慰霊塔」という案内標識がある。
 ははあ、これがNさんがいっていた丸山墓地か。NTTの研修所の裏にあたるようだ。

 「英魂」碑の右手前の小さな石碑に「丸山墓地の由来」が書かれている。

この丸山旧陸軍墓地は、松山市北斎院町二十五番地外に位置し、広さは八、五八四平方メートルある。旧松山藩時代は砲術射的場であったが、明治十一年九月官有地の管理換えにより陸軍墓地となった。
当初は将校、下士、兵卒に区分して埋葬されていたが、大東亜戦争末期に英霊をまとめて安置するため忠霊塔の建設に着手した。
しかし、残念ながら終戦により中断された。終戦後、大蔵省所管となる。
現在の慰霊塔(愛媛県戦没者慰霊塔)は、愛媛県が昭和二十九年九月に建設し、地下納骨堂に二、八八八柱の英霊が郡市別に安置された。以来、愛媛県郷友会が愛媛県から委託を受けて、清掃管理と毎年秋分の日の慰霊祭を行い英霊顕彰に努めている。
丘上は県民有志による献木植樹により現在の景観を保っている。
平成九年三月
愛媛県郷友会
 

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 「英魂」碑の後ろの林の中の墓地が昔の陸軍墓地の面影を残している。「英魂」碑の左後ろの小径を下ると日露戦争の戦没者の墓標が並んでいる。これは「英魂」碑の真後ろにあたる場所、下士官(尉官)戦没者の墓標群である。一部を除いて供花用の器はない。寒寒とした感じがする。
 正面に見えるのは、5の写真の墓標で将校(佐官)のものである。  


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 一番奥の墓標群。これも下士官である。
 


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 下士官の墓標群の南側に東西に並ぶ将校の墓標群。手前の大佐の墓には供花用の祭器が付属している。
 


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 これも将校の墓標。一番手前は軍医のもの。
ここまで日露戦争の戦没者。  


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 満州事変戦没者の慰霊碑。
 


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 陸軍の星のマークのある「供養塔」。どんな趣旨の供養塔だろうか。
 


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これも将校の墓。
この墓標の左側の細い道が、写真2の「英魂」碑の広場に繋がっている。
 


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 写真1の階段下にある供養塔。「軍馬犬鶏家畜慰霊塔」とある。
 


丸山旧陸軍墓地・愛媛県戦没者「英魂」塔の概念図

↑「英魂」塔

少将の墓標(日露戦争)

佐官の墓標 (日露戦争)

■尉官の墓標(日露戦争)

軍馬等の慰霊碑

満州事変慰霊碑

供養塔

\草地

↑階段

 小径


             
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        西         \ \ \ \ \ \ \ \      
                       
                           
                           
                             
                             
                       



記録が不十分であるので後ほど補筆する予定である。