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  1999年12月31日(金曜日) 子どもたちが久しぶりに勢ぞろい
流産

 1999年最後の日の商業新聞はどこも第1面で雅子さんの流産を取り上げている。

 前回の診断は6週目だったが、この頃になると胎児についてのほとんどの情報が得られるらしいから、あの段階で「結論」が出なかったと言うことは当時既に危なかったということだろうか。

 あれだけマスコミに大騒ぎをされて、しかも流産。雅子さんは相当まいっているのではないか。忘暮楼はあのとき雅子さんがこれから「一山も二山も」越えなければならないのだろうと同情したのだったが、今の失意もその山の1つなのだろう。

 もっとも、子どもができないわけではない、と証明された面もあるのだから、不幸の中にもいささかの幸いがあったということだろう。なにしろ、雅子さんも自分で、いまどき流行らなくなった「オトコの子を産むための結婚」を選んでしまったのだから、こういうツライ出来事にも耐えるより仕方がない。皇太子が優しそうなのが救いである。

 忘暮楼には「流産」と言う文字が「流星」と見えてしょうがない。だとすれば、流星が輝いている間に唱えた願い事は、流星が消えたあとにかなえられるのだから、皇室のみなさんにもそのうち良いことがあるかも…。

 いつだったか、例の如く酔っぱらって「一度光れば星は星」とわめいたことがあったが、どんな話だったのか忘れてしまった。

 忘暮楼にも、この世に生を受けながら、共に生きてくれなかったこどもがいた。生きていれば、良くもあしくも、忘暮楼の人生はまたうんと違ったものになったんだろうなあ。人あっての人生である。


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