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1999年12月24日(金曜日)
介護の対象はなにものか

 時々、病床にあったころの、亡き母の固く閉じた口を思い出す。どうしても食事をとろうとしないのである。その意志の強さに驚かされたことがあった。

 入院中の、車椅子を使う痴呆症の老人がしきりに外出したがる。看護婦が、すぐに家へ帰りたがる人だ、と思いながらもしばらく自由にさせて移動につき合って見ていると、家に帰りたいのではなく、ただ自分で移動したがっているだけだった、という話もあった。

 赤ちゃんが100%母親の世話になっていながらいじけたり落ちこんだりしないように、老人達も回りの世話になっているからといって、自立心は自尊心を捨て去っているわけではない。

 亡き母は1997年1月までは達者な老人だった。この月に大腿部を骨折して歩けなくなり、入院して痴呆を発症し、そのごそれはだいぶ快復した時期もあったが、99年1月の肺炎で弱りきり、ついに8月26日、2年7ヶ月の闘病の末死んでしまった。

 その間、彼女は次々と自由を失いつづけた。歩く自由、書く自由、自分で食事を摂る自由、寝返りする自由、自分で薬を飲む自由、移動する自由、話す自由、排泄する自由、笑う自由。それはつらいことであっただろう。しかし、われわれが入院しているときに、自尊心や自負心を失ったりしないように、母も最後まで自分で選んだ96年間を行き抜いてきた自負心を失うことはなかったと思う。

 食事を拒否するあの固く閉じられた口元は、最後に残された自由、食べないという自由を文字通り「死守」する意志の現れだったと思う。排泄の自由すら失った自分の、人間としての尊厳を死をかけて確認していたのである。

 介護の対象は、世話がなくては生きていけない哀れな人間ではない。それは、私と同じように生きているものとしての誇りを持ちつづける人間なのである。そういう意味では忘暮楼の母へのお世話には忸怩たる思いがある。    


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