<


  1999年12月12日(日曜日)ホームページお化粧直し
ご懐妊

 雅子さんの「ご懐妊」報道でマスコミは大騒ぎである。

 真偽の程は確かではないが、ある本によると、ギリシア人は3人の女性と交わっていたという。

 子どもを産むための女性が妻、友人としての女性が娼婦、快楽(セックス)の相手としての女性が女奴隷、というのである。

 そして、現代はたった一人の女性にこの三つの役割をすべて負わせようとしている。そこに無理が生じている…というような話であった。

 雅子さんは、まあ想像上の話だが、皇太子の友人として、快楽の相手として、申し分のないない方なのであろうが、子どもを産んでいない。しかし、こんなことは世間にはよくあることだ。子どもを産んだからといって夫婦が幸せになるわけではないし、子どもがなければ不幸というわけでもない。

 こどもがいなければすこしは寂しいだろう。しかし、寂しさは不幸せとはちがう。はやいはなしが、親が死んだら寂しくはなるが、不幸せになるわけではない。寂しい幸せってものもあるわけだ。

 ここまでは「世間」の話。雅子さんが足を踏み入れた場所は「世間」ではなかった。雅子さんはいまどき珍しく子を産むために嫁いだのだが、単に子を産むために、ではなく、「男児」を産むために皇室に入った。旦那が皇太子さんあるいは天皇さんである限り、いっちゃあ悪いけど、皇室典範が替わらない限り、「女児」を産んだのでは産まないに等しい。

 いま、マスコミは「ご懐妊」「ご懐妊」と騒いでいるが、本当の関心は、長子による皇位継承のための「男児ご懐妊」なのだ。マスコミは今はなぜかその本心を隠している。

 ひょっとすると雅子さんは、まだ二山三山越えなければならないのかもしれない。むごい話だ。


 

もどる