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  1999年12月04日(土曜日) 試験問題出来 一安心
私のチョーセンジン

 富山大学佐藤裕先生の差別についての論考を見つけた。筒井康隆『断筆宣言』のきっかけになった作品『無人警察』を「他者化」という概念を用いて分析しておられる。

 この小説の作者は、読者に、てんかん症を持つ人が自分にとって共通利害を持たないグループの人間であると認識すること、つまりてんかん症患者の「他者化」を求める。読者はこの自己認識に後ろめたさと感じない場合にだけ、この作品が面白い小説となりうるというのだ。

 この小説は教科書教材に採用された。学校にはてんかん症をもつ生徒が結構いる。そんな生徒が教科書教材に採用されたこの小説を楽しむためには、てんかん症をもつ自分を「他者化」しなければならない。そうしない限りこの小説は面白くないし、この作品が提起する問題(管理社会の恐ろしさとか…)を正面から受け止めることも出来ない。

 そして作家が読者に、読者自身の「他者化」を求めているとすれば、それは通例、文学ではあり得ないであろう。いうまでもなく文学は、読者が主人公(たち)を「自己化」することによって成り立っているわけだから。

 忘暮楼がチョーセンジンという言葉を使うとき一種独特の緊張感を感じる。朝鮮人を相手にして使うときだけでなく、日本人を相手に話すときにもそれを感じる。それはなんなのだろうか。

 私は朝鮮人を差別した覚えはない。

 私がしなかった差別とは「朝鮮人であることを理由にして、ある朝鮮人に不利益を与えたり、彼/彼女の人権を蹂躙したり、彼/彼女に不愉快な思いをさせたりすること」である。私は確かにそのような差別をしたことはない。

 私の育った海辺の町にも朝鮮人の家族がいた。記憶が不鮮明だが一家族だけだったように思う。亡母は、その一家と結構親しくしていたようで、娘さんのことなど好意的に話していたような記憶がある。

 しかし、自分の記憶をよーく吟味してみると、母の好意には「チョーセンジンだけどいい人」といった枠があったような気がする。つまり、特別の境遇を持った特別の人という認識、「他者化」があったように思うのである。

 私は、母から、この他者化された「チョーセンジン」を受け継いだ。母からというより、地域からといったほうが適当かもしれない。そしてこの他者化された「チョーセンジン」は、母や地域の人々の創造ではなく、朝鮮が独立国の国名から日本帝国の地域名に貶められた昔から、この国の排他主義、近隣国蔑視思想のなかで醸成されたものであり、ついにはこの海辺の町の土着の風のひとつとなったものであろう。

 人々の中には、他人を「他者化」している自分に気がついたとき羞恥心をいだく人と、「他者なんだから」と当然視する人がいる。忘暮楼はいつのまにか前者に属するようになっていた。

 忘暮楼が朝鮮人に「チョーセンジン」というとき、気持ちの隅っこで、自分が朝鮮人を「他者化」したことのある人間であることを思い出すのである。私はあなたに知られたくない過去を持つ人間なのです、私が使っている「チョーセンジン」は、あなたの「チョーセンジン」とちょっと違うのです、…そんな気持ちが一種独特の緊張感を生むのである。

 いや、正直に言おう。私の「他者化」はまだ生きているのである。生きている「他者化」が私を緊張させるのである。朝鮮民主主義人民共和国を、朝鮮民主主義人民共和国の国民を、朝鮮学校を、元「慰安婦」を、被戦時動員体験者を、私はいまだ「他者化」し続けている。「他者化」の呪縛から私は逃れきれていない。

 淘汰の原義は「ゆすって不用のものを取り除く意」(「新明解」)ということらしい。私はその意味で自分を淘汰したい。淘汰している真っ最中ともいえる。

 来年夏から朝鮮紀行を始めるつもりでいる。忘暮楼はこの旅行にひそかに期するところもあるのである。淘汰旅行。

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