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  1999年12月03日(金曜日) 今日から期末テスト
前天皇が父親業を拒否した理由

 今日は満96歳でなくなった亡母の百か日。この日までに最低限のお経は宙で唱えられるようにしようと、毎日通勤の車の中で練習をしてきたが、なんとか間にあった。今日は30分ほどお経を唱えて百か日の供養とした。

 アメリカ合州国でも97歳の女性が亡くなった。ベトナム戦争反対運動では警察に検挙されたことがあるというバイニングさん。もちろん、日本の皇太子の家庭教師であったあのバイニング夫人である。

 今日、ある民放テレビが追悼の特集番組を組んでいたが、その中で拾った話。

 バイニングさんは、天皇家が子供を親元から離して養育しているのを見て、前天皇に子どもと一緒に生活してくれるように申し入れたそうだ。すると前天皇は、バイニングさんに、

「バイニングさん。私は、戦争が始まるのを止められなかった人間です。そんな人間には、父親として子どもを育てる資格はありません。」
と答えて、その申し出を断ったというのである。テレビはこれを美談として伝えた。

 前天皇はちょうどこの頃、「戦争で疲弊した国民を直接慰問し、激励する」(注1)ためにしばしば全国ツアーを組んでいた。

 彼は「あっ、そう」を連発しながら、精力的に、すべての都道府県(ただし、自分の身の安全のためにいけにえにした沖縄(注2)は行かなかった)を回って天皇が国民と一体であるという印象を内外に与えることに成功した。

 この時期の前天皇の言動をみると、バイニングさんに語った「戦争が始まるのを止められなかった云々」の台詞は、美談でも何でもなく、天皇家の「伝統」を擁護するするための理由として思いついた、その場限りの戦勝国へのヘツライ的言辞に過ぎないと思う。


(注1)『天皇をどう教えるか』教育資料出版会
(注2)合衆国対日政治顧問W.J.シーボルトの1947年9月合衆国国務長官宛て書簡には、天皇からの「合衆国による沖縄占領継続」要請が「疑いもなく私利に大きくもとづいている希望」だと明確に報告されている。


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