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  1999年11月27日(土曜日)
組合のありかた

 愛媛私教連執行委員会。東雲高校の情勢について意見交換。

 東雲教職員組合の愛媛私教連加盟は東雲学園首脳をよほど驚愕させたようです。絶対に加盟しないと確信をもっていたのでしょう。校長は組合役員に「愛媛私教連と関係をもつのなら友好的な関係はもてない」ってなことまでいってるそうです。

 校長がそういう確信を持つようになっていた理由はなんだったのでしょうか。忘暮楼は次のように分析します。念をいれて強調しておきますが、これはあくまでの忘暮楼の個人的見解ですよ(^^;)。

団体交渉
 まず、東雲教職員職員組合は結成以来一度も団体交渉を組んだことがないんだそうです。現校長が委員長のときも、前校長が委員長のときも。これにはちょっとびっくりしましたねえ。校長との話し合いの場は折に触れて設定されてきたようなのですが、いずれも申し入れの域をでなかったようです。ということは、つまり、現状では労使の間に対等な関係が築かれていないんですよねえ。

 組合としては相当後発ですけど、今治明徳にしても、今治精華にしても、いわば団体交渉を持つために組合が結成されたわけで、はやばやと労使対等関係の樹立に成功しています。

 さて団交不在の労使関係はどんなものになるのでしょう。やや図式的過ぎるかもしれませんが、普通の場合そこには管理・被管理の関係しかないってことになるわけですよねえ、そうなると、管理する側の人々は、少々の批判は歯牙にもかけません。そうしてしたいことをしていくのですね。管理されるもの出来ることはせいぜい管理するものの無能をあざ笑ってみることくらいということになりますか。

校長人事
 またもう一つ注目しておきたいことは、いまもちょっと触れましたが、東雲の現校長と前校長は組合委員長からの転進であることです。この人事のうらには当然組合員の支持なり後援なりがあったのであろうと忘暮楼はかんぐり(?)ます。

 忘暮楼は常々、組合が校長人事にかかわることについては危惧の念を抱いていました。校長は、教頭とか学年主任とかとはちがうんですよね。人事権を持っていますし、ほとんどの場合学園理事になります。経営者なんですね。

 組合と政党との関係を思い起こしてみましょう。組合が特定の政党を支持し、組合員にも支持を強制すれば組合は必ず割れます。団結するための組織に不団結を持ちこみます。だから全国私教連にしろ愛媛私教連にしろ、私学助成運動などで政党との協力関係は持っても、選挙での支持関係は持ってこなかった。

 学校のトップについても、全員が賛成する人事などというものはあり得ないですよね。校長の選出過程で組合が特定の人物を支持する行動に出たときは、必ず組織内に派閥が生まれ、齟齬が起きる。東雲にそういう分裂があったのかどうかは具体的には知しませんが、似たようなことは必ず起こっているはずです。組合の不団結はすなわち組合の弱体化ということになるはずです。

批判勢力
 あれほど激しく自民党を攻撃していた自由党や公明党が、自自公連合を結成するや否や、批判を停止してしまいました。これが与党化ということですよね。

 組合も与党になると批判精神が希薄になるに違いありません。自分たちで作り上げた校長ですから、その校長に対する見方は少しずつ甘くなるでしょう。その甘い見方が重なり重なって、校長の専断体制を組み上げられていく。


 こうして準備された、労使の対等関係の不在、組合の団結力の低下、批判精神の希薄化という三種の神器(三位一体というべきか)が校長に「愛媛私教連不加盟」の確信を与えていたのでしょう。


 しかし、そのような校長の読みもまあ甘かったということでしょう。人間の尊厳を軽んじるようなことをすると誰だって怒ります。怒るということは相手と対等の立場に立とうとすることです。
 東雲教職組は、教職員の生活と人権をまもり、東雲教育を再生させるために、愛媛私教連、全国私教連加盟の道を選びました。東雲の今回の退職勧奨問題はいずれすべての私学で直面するかもしれない問題です。職場の団結をつよめて指名解雇の暴挙を阻止することが当面最大の課題。その団結の力が新しい東雲中高の将来を切り開くことになるでしょう。 

 

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