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  1999年11月22日(月曜日) 咳きが残っている
『風の音が聞きたい』

 30年来の友人にして忘暮楼のやることには理解できないところがあるという。

あんたはんはあれだけスポーツの現状を批判しているのに、どうしてプロ野球や大相撲になるとこんなに熱中するんかなあ

 こう詰問されるとつい返答に詰まって、モグモグと誤魔化してしまうんだけど、考えてみれば、常識的なことだけど、「好きだからする批判」と「嫌いだからする批判」あるわけで、忘暮楼の場合は前者だ。

 例えば天皇だけど、個人的に言えば天皇や皇族については忘暮楼は相当の親密感を持っている。この10年間、最も間違いが少なかったグループは、天皇一族と日本共産党だと思っているくらいである。

 しかし、天皇が外国人とは握手するのに日本人とはしようとしない、ということについては、全身全霊でもって糾弾したくなる。天皇本人か取り巻きが、国民と肌が触れるとケガレル、と考えているに違いないからだ。この政治思想は確かに差別の源泉である。

 スポーツも同じ。特にアマチュア・スポーツや学校スポーツの持つ病理には深刻なものがあると思う。しかし、スポーツそのものが嫌いなわけではない。身体を動かして楽しむってことは、単に楽しむだけでも十分なのだが、実際は、自己表現あるいは自己確認の術としても、他人とのコミュニケーション手段としても、有意義な役割を果たしている。

 大林宣彦監督の映画『風の音を聞きたい』をみてその感を深くした。トライアスロンに挑戦しつづける若い聾者夫婦のtrue-life storyだそうだ。トライアスロンも参加者の大部分にとっては「競うスポーツ」ではない。仲間といっしょに自分に挑戦するスポーツだ。そんなスポーツが生んだ感涙のドラマであった。要ハンカチまたはティッシュ。


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