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1999年11月10日(水曜日) 風邪で欠勤 まだひどい 
「苦しみなり」

 今かかかっている医者は藤原胃腸科の藤原寿則(かずのり)先生。「愛媛・仏教と医療を考える会」代表世話人をしておられる。

 平成10年に『住友別子銅山で<朴順童>が死んだ』で愛媛出版文化賞(社会科学部門)をいただいたとき自然科学部門の受賞者が藤原先生だった。そのときの歓談のなかで、せんだって死んだ従兄が、生前、先生のお世話になっていたことがわかり、1度お話が出きればと思っていたのだがなかなか機会がなかった。

 それが今回の風邪で聴診器を当ててもらえることになったのだが、ついでに糖尿病の方も見てもらうことになった。

 風邪の診察のあと本をいただいた。『続・町医者のいろはカルテ』である。これを床の中で読んだ。藤原胃腸科では、病人の心の手当てのため仏教を積極的に生かしておられる。併設の老人デイケアでは松山近在の僧侶の法話も聞ける。これまでの法話がこの本に収められている。感銘を受けた部分を少しだけ紹介しておく。

 えらいものの例えとして「旅坊主と地侍」(坊主は、本人の素性が知られていない場所で尊ばれ、侍は地元にいるときだけ尊ばれる)という言葉があると、旦那寺のお上人が笑わせてくれたことがあったが、「地坊主」さんの話しもなかなかいいのである。

 まず松山市内、東林寺杉本晃隆住職の法話から

仏教では私たちのこの世での営みは「苦しみなり」と教えているのです。またその考え方に立たねば苦に対応する気持ちになれないと思います。「人生は楽しみなり」の考え方からは、不平、不満が涌き出るばかりです。
杉本住職は、闘病中の老人達にこう語って、ものを考える原理・原則を示したのでした。

 これは老人だけの問題、病人だけの問題ではないのでしょう。PHSの爆発的な普及や挨拶的な性関係、車や単車の迷惑走行、万引きゲームなどなど、若者達の一見奇異な行動も「生きることは苦しみなり」から派生していることであることはまず間違いのないことでしょう。

 この点の理解がないと、老人とも生徒とも心は通じない。心が通じなくては治療も教育も1歩も進まない。今日は当たり前過ぎる話でした。


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