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  1999年10月25日(月曜日) 天気晴れ
漱石様々

今日はあの「私語の洪水」クラスの授業が相当気持ちよく進んだ。夏目漱石の『こころ』の授業である。

終わりのチャイムがなる数分前に「そんなら今日はここまで…」と授業の終了を告げたら、一番後ろのM君が
「えええっ、もう終わるン。今日は早いなあ」と叫んでくれたもんだ。

 タモリの人気番組の「それじゃお友達の紹介を…」のあとの「えええーーーーっ」という感じだった。ともかく今年度最高の授業だった。

 うるさいクラスで、「先生、あきらめたほうがいいよ」「○○先生もついにあきらめたみたいなよ」と言って慰めてくれる生徒もいる。しかし、教員としては何とかしたい。

 何とかなりそうな兆しもある。中島敦の『山月記』もムラはあったがまあまあの反応だった。「臆病」や「尊大」について、「誇り」や「羞恥」についても、ある程度、自分たちの問題として話し合えた。

 このクラスは週たったの2時間なので、2学期の授業数は十数時間しかない。しかも、3学期の授業はほんの数回だ。彼らの国語の勉強は実質2学期で終わりなのだ。
 よし、思いきって漱石の『こころ』をやろう。

 『こころ』は、もともとは割愛する予定の教材だった。教科書では当然ほんのの一部分しか載せられていないが、それでも13級(9ポイント)の小さい活字が、2段組で15ページにわたってびっしり詰まっている。この子たちの集中力から言うと無理な感じもしていたのである。

 しかし、考えてみれば、この子たちの大部分にとっては、『こころ』の「先生」や「K」や「私」との付き合いはこの機会を逃すと2度とないのかもしれない。彼らの3年間の最後の日本語の勉強が、近代文学の最高峰との出会いとなればすばらしいではないか。そんなことを考えて『こころ』の授業に踏み切った。 

 それでも、念のために、@毎回ノートを提出することと、A私語があるときは授業を中断すること、を確認してスタートした。集中力補強策である。

 そして第2回目の今日は「K」がお嬢さんに対する「切ない恋」を告白するくだりであった。

 読みのほうは、ボランティアの読み手が3人いる。
「今日、わしに読ませて!」
「僕が読もうわい!」
この子たちは、自分で読んでないと寝てしまうことを自覚しているのである。そして結構読める。「思惑」もチャンと「オモワク」とよむ。「エライ!」と合いの手を入れると「これくらい知っとらい…」とえらそうだ。一部の子どもだけに読ませるのは邪道であろうが、ここは目をつぶってもらおう。

 登場人物の「心理の変化」が登場人物の「行動の変化」を生み、それが筋を展開させていること、そのへんを押さえながら読んでいく。「私」の心理の中心としての「K」に対する嫉妬心。読めない「K」の心理。「K」の不可解な言動…

 そして「K」の突然の告白、「しまった」と思う「私」…

 「Kの気持ちなど無視して自分のことだけを考えるような態度は?」
「エゴ!」
「そうそうもう少し長く言うと?」
「エゴイスト!」
「それは人ね、そんな態度は…」
「エゴイズム」
「そうそう、日本語では?」
「利己主義!」
「その通り。利己主義があるのなら利他主義というのもあるわけ。利他主義を漢字一語で言いかえられる?」
「…」
「自分のことより他人のことを先に考えるんよ」
「…」
「よくつかう言葉よ!」
「あ、愛」
「そうそう。愛とエゴイズムね…今日読んだところにもこの両方が出てるね。これ、これから読むところのテーマなんよ。『こころ』のテーマなんよ。」

 ここで時間になりまして、本日の日記のに冒頭戻るわけです。
     

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