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  1999年10月21日(木曜日) 晴れ
「縄文海進」幻想

 いまから18000年〜16000年前の最終氷期のあいだに、海はどんどん退いて、平坦な海底がつぎつぎと大気にさらされていった。

 川は、退いていく海を蛇のように執拗に追いかけていった。そして強力な侵食力で元の海底に深い谷を刻んでいった。氷期はまた川の全盛期でもあったのだろう。

 その後、気候は温暖化し、氷河が溶けつづけ、海の水が膨れ上がり、氷期につくられた深い谷々をおぼれさせた。川は、先端部分を「死に川」として新しい海底に遺棄しつつ、後退に継ぐ後退を重ねた。海面は100メートルも上昇した。新しい海の海底には、おびただしい数の、長い長い「川の化石」が残された。

 今からたった6000年前、縄文時代のある時期、縄文人たちがあちこちの高台で豊かな生活を営んでいたころ、海の前進が終わった。そのときの海面は今より2〜3メートル上にあったという。

 短くなってしまった川たちは、海底に残された「死に川」を埋葬するがごとく、山々の土や岩を削りとり海となった谷間に流し込みつづけた。「死に川」を埋める土は休むことなく積み上げられ、ついには谷を埋め尽くした。こうして「死に川」の100メートルも上に新しい平野、沖積平野が姿を現した。

 さて、新しい平野を流れる新しい川を見よ。その川はあの「死に川」の真上を流れている。そして、その川は、豪雨に見舞われるたびにたびに、その姿を次第に地下に眠る「死に川」の姿に似せてきているではないか。「生きている川」は「死んだ川」に支配されているのだ。

 これは『歴史におけるエロス』の掉尾の章「死者の支配」のフィニッシュを飾る印象深い比喩のイメージに触発された幻想である。要は、我々の日々の行為がいかに死者たちの意思に支配されているかをいうのである。

 50日かかってやっと『歴史におけるエロス』を読み上げた。ヨーロッパを知らず、キリスト教を知らない忘暮楼にとっては、百科辞典や英語辞典引き引きの悪戦苦闘であった。そのかわり、初見事実満載の本だけに、まことに自虐的な読書ともなった。感謝。


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