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  1999年10月15日(金曜日) 曇り 三好修平先生母君葬儀
学校を変えよう

 「1年生はおとなしい、2年生は荒れる、3年生は落ちつく。」…ちょっと前まではこんな感じだったように記憶します。実際1年生と3年生では子どもと大人の違いがありました。

 ところが最近数年間は様子が違うます。1年のときから3年までずーっと荒れ続けているクラスが現れ始めています。学級崩壊が高校にも広がりつつあるようです。向上心が踏みにじられ始めています。努力が冷笑され始めています。

 いまこそ学校が変わらなければなりません。向上心に満ちた場努力する場所とならなければならなりません。

 しかし、ヒラ教員ががいくら「意思統一」を呼びかけても、それはせいぜいあまり生産的ではない苦言に終始することがほとんどですね。

 学校の改造の第1の鉄則は、「校長の指揮の貫徹」と「全教員の意思統一」という車の両輪を回すことです。この両輪を回すセルモータが校長の決意です。学校における校長の役割は重大です。学校を変えるべきときに学校を変えられない校長は、プロ野球でいえば役に立たない外国人選手のようなもので、当然、リタイヤすべきですね。

 さて、実際に学校の改造に着手するときもう1つの鉄則があることを忘れてはならないでしょう。これを飛ばすと絶対に成功しないのです。

 それは、どんなタイプの教員でもできる方法を選ぶことです。つまりガミガミ・タイプの教員でもブツブツ・タイプの教員でも共通して採れる方法を選ぶことです。

 ここをよく考え抜かないと絵に描いた餅になります。

 教員はチャイムと同時に教室に入る、というやり方はこの点で実現可能な方法であったし、実際、昨年までは確かに見られていた、教員が入室しても生徒がまだ室外でうろうろしているといった状態、ひどい場合は校庭でキャッチボールをしているといったことはなくなりました。

 学校を「向上心に満ちた場」「努力する場所」にするためには、「向上心をテーマとした校訓の設定」「向上心のある生徒を入学させること」「教員の向上心を奨励・涵養すること」「教員の生徒理解を深化させること」「生徒に分かる喜びを体験させること」などとともに、「教室を学習の場らしい雰囲気にすること」も重視しなければならないでしょう。

 実際、クラスのなかのたった数人の、自堕落な態度がクラス全体の雰囲気を悪くしています。教科書を持ってこない、ノートを開かない、私語をやめない、惰眠をむさぼる、起こすと反抗的態度をとる、…などといった傍若無人ぶりがすぐにクラスに蔓延してしまいます。

 こういう生徒は進級させないことです。ガミガミ・タイプの教員はガミガミと、ブツブツ・タイプの教員はブツブツと、「君はこの態度を続けている限りこの教科の単位は認定できない」と宣言し、態度を変えない生徒は単位を認定しないことです。これを学校挙げての教育運動として取り組むこと、これは意思統一が可能ですし、したがって実現が可能です。

 ほとんどの生徒たちは高校には3年間しかいません。そのうち最低、2年、3年の二年間はもう少しまともな雰囲気の中で勉強させたいと思うのです。自堕落な生徒には、1年生の間での自覚を期待したいと思います。しかし、自覚ができないのであるならば、そもそも高校へくること自体が不適切な選択だったと言うほかありません。もう1度チャンスを与えると言う意味で、留年させることでもって最大の温情というべきでしょう。


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