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  1999年10月11日(月曜日) 金木犀やっと開花 晴れ
91歳の父の過去 韓国から突然の電話

 夕刻電話が鳴った。韓国語の電話だ。1942年から日本に徴用されていた父親のことについて調べてほしい、といった趣旨のようである。細かいことは聞き取れそうもない。

「ちょっと待ってください、妻のほうが韓国語がよく分かるので替わりますから、…」 

 カミサンは向こうのほうで手を横に振って顔をしかめているが、強引に替わってもらう。カミサンも受話器を取ると、根は好きなほうであるから、積極的に応対している。

 父・曹(縦棒は一本だけ)壽星は、福島県(ポクトヒョン)の「ヨシマ」炭鉱で仕事をしていた。「タデコ病院」に入院していた。創氏改名はしなかったが「ウミダさん」という日本名で呼ばれていた。などと次第に事情がわかってきた。

 おおよそのことが分かったところでもう一度忘暮楼が受話器を受取って、「詳しいことはペックス(FAX)でおくって下さるならば感謝申し上げるでしょう」と頼んだ。この手があるんです。

 まもなくファックスが届いた。電話の主は Cho Gwan Shik さんという公務員(立法補佐官)の方であった。再び電話がかかってきた。こんどは忘暮楼が話した。ファックスの内容と電話の内容を総合すると次のようなことだった。

  • ソウルから電話している。
  • 1995年にテレビで「帰郷」を見た。(「帰郷」は忘暮楼たちが韓国で実施した戦時動員の聞き取り調査を追ったドキュメンタリー番組である。)
  • 「帰郷」の舞台忠清南道に父が住んでいたことがあるので特に関心を持った。
  • 父も日本に徴用さたことがあるので、「帰郷」のなかで紹介された忘暮楼の電話番号を控えていた。
  • いま父は91歳でソウルにいる。元気である。
  • 父は徴用経験者の集まりである「生存者協会」に属している。
  • 父は、1940年12月から1945年12月(この年月は正確でないかもしれない)まで福島県「ヨシマ」炭鉱で仕事をした。
  • 途中落盤事故に遭い、「タデコ」病院に約2ヶ月程度入院した。
  • 日本へ行った当時の父の住所は、忠清南道燕岐郡南面陽化里523であった。
  • 韓国政府への申請のために炭鉱で仕事をしていた事実を確認しようとしている。
  • そこで父の日本での名前が何であったか、仕事をした期間はいつからいつまでだったか、が知りたい。
  • 是非協力してほしい。*
 「帰郷」というドキュメンタリー番組は大田MBCが光復五〇周年記念で制作した作品で、忘暮楼たちの韓国での聞き取り調査を記録したもの。その年のMBC系列の作品の中でグランプリを獲得し、全国放映もされた。その全国放映をChoさんも見たらしい。

 これはまた雲をつかむような話だができるだけのことはしてみよう。日朝協会本部へ電話してみると、丁度11月に岩本事務局長が福島へ行く予定がという。そのとき聞いてもらうことになった。このタイミングの良さはなにかいいことを予感させる。


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