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1999年9月25日(土曜日) 晴れ
キリスト教弾圧の生んだ寂しさ

 母の遺骨を父の生まれた山奥の墓に納骨した。

 墓の石蓋をあけると父の骨壷が一つぽつんと鎮座していた。その隣へ母の骨壷を並べて、お上人にお経を上げてもらい、蓋をした。

 都会に住む無宗教の中国人は墓を持たず、骨壷は押入れに保管していると聞いたことがある。納骨の終った墓を後にしながら、かえってそのほうがいいのじゃないかと思った。暗い地下にある父の骨壷の隣より、我が家にいたほうが良かったよかったのじゃないかと、言い知れぬ淋しさを感じながら山を下った。

 葬式寺や先祖墓の制度は、キリシタン対策として作られたもの。寛永年間以後だからまだ300年の歴史しかない。

 私がいま感じている寂しさは、幕府のキリスト教弾圧政策の暴力に遠因があるのである。


1999年9月24日(金曜日) 台風 終日風強し
姥捨て川

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